ステレオタイプと偏見に満ちた私
先日、ある方のFacebookを見ていて以下の図が掲載されていました。
ご存じの方も多いかもしれませんが、
世界の国々がどのように問題解決を図る
傾向があるか
というものです。
簡単な図で各国の問題解決方法を揶揄しているので、この情報を鵜吞みにしてしまうのは控えなければなりませんが、話のネタとして面白いと思いました。
上の図による各国の問題解決法に、私なりの解釈を加えますと以下のようになります。
①ドイツ:
問題を早期に解決。「まとも」
②アメリカ:
ドローン戦闘機によって問題解決
③ロシア:
強権の発動によって問題解決
④中国:
そもそも問題というものが存在しない
⑤イギリス:
紅茶を飲みながら問題解決を図る
⑥アイルランド:
ビールを飲むうち問題がかすんで見えなくなる
⑦スペイン:
シエスタ(昼寝)するだけで問題はそのまま残っている
⑧イタリア:
問題解決よりもまずはパスタ(食事)
⑨スイス:
国民投票によって「答え」を出す
⑩ベルギー:
解決されているのに問題が起こる(?)
⑪フランス:
デモやスト、騒乱が起こり、かえって問題が増えてしまう
⑫スウェーデン:
シンプルな解決策を提示するが、わかりにくい
⑬日本:
会議を開催するが問題は残ったまま
スイスとベルギーについては、私はどう解釈すればいいかわかりませんでした。
またこの図を作成しているのはフランス出身の方らしいのですが、
「日本人は会議ばっかりやってるわりに、
ちっとも成果が出ない」
という見方が世界で定着してしまっているのかなと思うと悲しくなります。しかし日本での会議の多さを振り返ってよくよく考えると
「そうだ、その通り!」
とうなずいてしまったり。
その他の国についても思わず「ニヤリ」としてしまうのは、ニュースなどメディアを通して流れてくる情報に触れるうち、自分の中で知らない間に形成されている各国のイメージと一致しているからでしょう。
この中ではアイルランド、スペイン、イタリアが個人的に好感度高いです。
これは問題解決ということ以上に、酒におぼれるとか、昼寝してしまうとか、まずはおいしい食事というように、人間としての性をそのまま表現する人に私が好意を持つ傾向があるからだと思います。
「ステレオタイプ」と「偏見」
上の図は世界で広まっている各国のステレオタイプなのかなと思いました。
改めて調べてみたのですが、ステレオタイプとは
「固定化されたイメージ」
のことだそうです。
そして普段あまり意識していなくても、ステレオタイプなモノの見方をしていることに気づかされることがあります。
性別、出身地、出身校、年齢、
職業、血液型、外見、人種など、
それぞれに
「固定化されたイメージ」
が私の中にもあるのです。
例えば、
血液型がO型と聞けば
「おおざっぱ」(私のことです)
関西人と聞けば
「面白い」「ボケとツッコミ」
教師・公務員と聞けば
「まじめ」「地味」
コンサルタントと聞けば
「いつも腕組みしている人」
最近の若い人と聞けば
「すぐに仕事をやめることに抵抗がない」
入れ墨をしている人を見れば
「ヤバい人」
ラテン系の人と聞くと
「明るい」「陽気」
そして、
イスラム教、中東と聞けば
「テロ」「ヤバい」と。
赴任前、私がヨルダンに行くことになったと言うと、少なからず
「ヨルダン?どこ?」
と聞かれ、
「中東だよ」
というと、
「大丈夫なの?危なくないの?」
「テロに巻き込まれないようにね」
と周囲の人たちに心配されたものでした。
ここヨルダンには家族を伴って来ているのですが、ヨルダンへの赴任で成田空港から出発するとき、チェックインカウンターで当時小学4年だった長男がポロポロと泣き出しました。
驚いて「どしたん?」と聞くと、
「ヨルダン、やっぱり怖い、
行きたくない」
と、飛行機に預け入れるつもりで背負わせていた大きなリュックサックを固く握りしめたまま、それを手放そうとしないのです。
我々家族分のチェックインをしてくださっていた航空会社の方々が、泣きじゃくる長男を見てチケットの発券を一時思いとどまるほど心配されてしまい、私も妻もほんとに焦りました。
よくよく長男の話を聞くと、当時はまだ中東での「IS」といったテロ組織のニュースが日常的に報道されており、
「ヨルダンもきっとテロリストばかりの国・・・最悪だ」
という「偏見」が彼の中ですっかりできあがってしまっていたということです。
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社会心理学では、「ステレオタイプ」「偏見」を以下のように区別するそうです。
長男の場合、何気なく接していたテレビなどの情報から
「ヨルダンは中東の国、イスラム教の国だからテロが多い」という「ステレオタイプ」を持つようになり、
「ヨルダンはテロリストばかり・・・恐ろしい、最悪だ」という「偏見」を持っていたということになります。
人間の脳ミソというものは宇宙と同じでいまだ神秘に包まれており、様々な研究があるようです。
よく言われるとおり、意識している、していないにかかわらず、人間の脳ミソは五感を通して入って来る膨大な情報を処理しています。
その一方で、処理すべき情報があまりにも多いので、脳ミソはその負担を減らすために極端に情報を単純化します。
そして脳ミソは何か知らないことに直面した場合、知らないという不安を回避するために性別とか出身地、国、職業、人種、宗教・・といった属性からステレオタイプを取り出してきて
「とりえあず対象についてわかったことにする」
のだそうです。
脳ミソがやっかいなのは、とりあえずステレオタイプでわかったことにしたうえで、それに自分のモノサシをあてがって「好き」とか「嫌い」という感情を付けてしまうことです。
さらに問題なのは、ステレオタイプとそれに伴う偏見は、一旦できてしまうとなかなか変化することなく脳ミソにこびりついてしまうということなのです。
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ヨルダン駐在員として私は日本とヨルダンの間に立っているわけですが、このステレオタイプや偏見というのは本当にやっかいだと日々痛感してます。
日本人はヨルダン人や中東の人に対し
「自己主張が強い、
しかも声も態度もデカい、
そのくせ言ったことや時間を守らないから
仕事もいい加減、信用できない」
など、接する前からすでに苦手意識や偏見を持っている人が多いです。
不幸なことに、ヨルダン人に対するステレオタイプや偏見が「正しい」ことを証明するようなことが実際に毎日起こるわけで、付き合いが浅いうちはそうしたステレオタイプと偏見が一層強化されてしまうのです。
固定化された見方でヨルダン人と接する日本人に対し、違う角度からヨルダンでの仕事の仕方を解説しても、
「はびーびは、いつもヨルダン人の肩を持つ」
という目で見られてしまいます。
仕事をする上で大事なのは、自分と異なる相手に対するステレオタイプや偏見を超えて、どうやってお互いが気持ちよく仕事をし、どうやって仕事の成果を一緒に生み出すかということだと思います。
しかしながらこのステレオタイプとか偏見というのは、そのように少し考えればわかることを忘れさせてしまうほどマイナスの影響をもたらすものなのです。
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くだんの長男ですが、ヨルダンに到着後もしばらく「怖い」という意識がなかなか抜けなかったようです。
信号待ちで男性ばかりが乗った車やバンが隣に止まったときは冷や汗をかき、レストランやスーパーでアラブの正装をした店員さんに声をかけられるだけでビビッていました。
またヨルダン人の同級生たちのヤンチャぶり、いい加減さ、自己主張の強さに辟易しており、
「ヨルダン人ってホント最悪!」
という話をよく聞かされたものです。
しかし2年ほど経ったある日、その長男が
「僕、アラビア語を勉強する、
ヨルダン人の同級生とアラビア語で話せるようになりたい」
と言ってきまして、私はむちゃくちゃうれしかったです。これがヨルダンに来て私と妻がもっとも感激したことかもしれません。
その心変わりの理由を聞いてみたところ、
「ヨルダン人の同級生は確かにヤンチャでいい加減で、うるさくて自己主張が強い。でも、自分によくしてくれるいいヤツもいっぱいいるから」
とのことでした。
「ステレオタイプを持つな」
「偏見を持つな」
というのは簡単ですが、そんなことは不可能だと私は思っています。
上に記したとおり、情報というのは意識的であれ無自覚であれ勝手に入ってくるものです。ステレオタイプや偏見というのも、自分が知らない間に脳ミソで勝手に処理され蓄積されていくものなので、それは避けようがないと思うのです。
だからせめてこちらができることは、ステレオタイプや偏見を自覚しつつも、本当にそれだけが対象を正しく表現するものなのかを観察し、検証しなおすことが大事なのだと私は改めて長男から学んだのでした。
追記:
今回の記事は、以下の情報を参考にしました。
・Mayonez『ステレオタイプとは?日常生活から見る具体例4つ|偏見・差別との違い』(2020年2月13日記事)
https://mayonez.jp/topic/7041
・マイナビウーマン『【心理学】ステレオタイプはなぜ起こる? 意味や具体例を紹介』(2021年6月24日記事)
https://woman.mynavi.jp/article/210624-27/
・コトバンク『ステレオタイプ』
https://bit.ly/3JfaVzN