ヘンタイが世界を救う
褒め言葉に「ヘンタイ」をよく使う。
なんとなくニュアンスは伝わるだろうか。
社会にはいろんな人がいる。
そのいろんな人に出会うのが好きだ。
中でもヘンタイは最高で、
ヘンタイを探すために人に会いたいと思ってるふしがある。
自分の人生はヘンタイ探しの旅とすら言ってもいいかもしれない。
いわゆる「偉い地位」に就くにはいろんなルートがあると思うけれど、
『ヘンタイが高じて知らん間にトップになっちゃってました(汗)』
みたいなおじさんとかおじいさんとかどうしようもなく魅力的で。
好きばっかり追い続けるヘンタイってやっぱいいなって思う。
ヘンタイはその存在がヘンタイであるために捨てるものが相当ある。
突き抜けたヘンタイは捨てたもの、失ったものになど目もくれない。
ヘンタイのパラメータは一点集中に振り切れているので、
人並みに上手くできないことなど山ほどある。
しかしそんなところに留まらせる意識は無駄の極みだ。
ヘンタイにつまらない常識など押し付けるのは損失だ。
ヘンタイには持てるリソースの全てをヘンタイ業に費やしてほしい。
失ったもの、欠けているもの、手放したものに執着することなく、
他人がどうあれ我関せず、
できないことは他人に委ね、
己のすべきことに邁進する生き方。
そう生きることをヘンタイと定義するならば、
ヘンタイこそが世界を救うと言えないか。
広くて閉塞的なこの世界を。