天才とは(シド・ミード展)
先日、3331 Arts Chiyodaで開催中の「シド・ミード展」へ行った。
https://sydmead.skyfall.me/
シド・ミードといえばブレードランナーであり、エイリアンであり、スタートレックであり、∀ガンダムであり、宇宙戦艦ヤマトであり…
とにもかくにも世界の未来像はシド・ミードにデザインされたと言っても大袈裟ではないだろう。
何十年も前に見たはずの未来がたった今目の前に肉眼で触れることができる現物として在る不思議と、
何十年も経ったにもかかわらずそれが未だに輝ける壮大な未来であり続けている不思議を心から楽しんだ。
専用のARアプリを通して展示を見ると、下描きであるスケッチが映されたり、
3Dモデルとして可視化できたり、
こういう趣向もよかった。
表現の可能性を増やす技術の進歩とはすばらしいものだ。
シド・ミードは誰がなんと言っても天才だろう。
鑑賞しながら毎秒天才のほどを噛み締めたし、天才だ以外の感想すら出てこないほど圧倒的に天才だった。
問題は、天才とはなにかだ。
ひとが作り出すものに完全なオリジナルはないという。
それは絵やデザインに限らない。
ひとは無からは何も作れない。
何を作ったとしても既存のアレンジにすぎない。本当にそう思う。
シド・ミードもそうだ。
そうだけど、違う。
確かにこの世にすでに在るものを使ってはいるが、作っているものはまだこの世にないものだ。
そこが違う。
作っているのは新しい価値観だから。
新しい世界だから。
作るではなく創るだから。
創造主だから。
天才とは創造する人なのだ。
ひとは無からは何も作れない。
無から何か作れるのは神しかいない。
無いものを創造するひと。
それは予言者であり、異世界の住人であり、侵略者であり、神だ。