【学び】 安全とプライバシー、どちらが大事? 空飛ぶ車が流通した近未来社会について考える
興味深い動画を見た。
「安全はプライバシーを犠牲にする価値があるのか?」
ここは近未来のとある都市。そこでは未来の乗り物、ホバーカー(空飛ぶ車)が流通し、私たちの生活をより便利なものに一変させた一方で、これまで以上に交通違反や重大な事故が多発していた。
政府はそんな問題を解決すべく「ドライバー信用スコア」という新たな仕組みを導入する計画を発表した。
このスコアはすべての市民に割り当てられるものであり、交通ルールを守るよう促す仕組みであると期待されている。
しかしながらそれを実現するには、すべてのホバーカーにカメラとマイクを設置し、ドライバーの全ての行動を記録する必要があるとのこと。これにより道路の安全性は確実に向上するとされているが、その一方でプライバシーに対する疑問を呈する声も少なくない。
「安全のために、プライバシーをどこまで犠牲にすることができるか?」
とても考えさせられる内容だった。
そもそもプライバシーとは、
自分自身に関する情報の開示をコントロールできる権利のこと。あくまで「個人情報」とは異なることを理解しておきたい。
確かに、他者には秘密にしておきたい情報や、誰にも侵害されない私生活上の自由を得たいという欲求は誰にでもあるだろう。 しかしながらその一方で、個々人のプライバシーというものは国民の生活の安全、つまり「公共の福祉」に勝るものなのだろうか。
正直私は、そうは思わない。
福祉を優先するという考え方は、政府が市民を守る義務と一致していると感じるし、一部の自由(ある限定的な時間のプライバシー)を手放す代わりに、理不尽な危害(交通事故など)を受ける恐怖から解放された生活を手入れることができるのであれば、それ自体に価値を感じるからだ。
※もちろん政府側の権力の濫用を防ぐための安全策が計画に含まれていることが大前提であるが。
個人と社会。
どの縮尺で世界を見渡すか、それによって立場は大きく変わると思う。
皆さんはどう思われますか?