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人生に疲れたので、思い立って日本最北端へ行ってみた話


出発。夜。

 深夜0時をまわって少しした頃、突如"宗谷岬"に行かなければいけないと思い立った。
 日本最北端の地、北海道稚内市にある宗谷岬。
 約2年前、北海道移住を心に決めてから、ここにはいつか飛行機ではなく陸路で行きたいと考えていた。

 ここ数日、仕事を休職するほど精神の具合が悪く、近所の温泉ですら目の前で「やっぱやめよ……」と引き返すことがある始末(同じような症状がある人は、必ず病院にいってください。たぶん危険なサインです)。
 その具合の悪さが原因で、長い時間をとって一旦、地元関西に帰ることが決まった。
 フェリーの日程や実家に持ち帰るべき物、病院の転院手続きなど、なにしろ北海道と関西はなかなか往来できる距離ではないので段取りが大変だ。 

 いろんなことが決まっていくなかでふと、長年行きたいと夢に見ていた宗谷岬へ、陸路ではなかなか行けなくなることに気付いた。今が最後のチャンスだ、と思い立ったとき、もう深夜0時をまわっていた。

 実はこの日の23:30に苫小牧から敦賀へ向けて出航するフェリーに乗ることが決まっていたので、ほんとうに最後のチャンスだった。

 しかしケツが決まっているということでもあるので、往復の運転を1人でこなして帰ってきて、フェリーの乗船に間に合うかどうかが重大な問題だった。

 何度か行こうとしたこともあり、経路を検索するのは二度目どころではない。
 あらためてGoogleマップで検索すると、札幌市から片道約5時半。休憩を含まない単純計算で、朝6時過ぎにつく予定ということだった。

関西基準で考えると大阪市-山口県岩国市くらいの距離
(東京基準だと千代田区-仙台市くらい)


 その後すぐに引き返してきたとしても、ノンストップで昼の12時半ごろ。おそらく休憩を含めると、14時から15時ごろになりそうだが、夜のフェリーには間に合いそうだった。
 この単純すぎる計算で本当に出発しても大丈夫なのかという不安は頭を掠めたが、今日を逃せばチャンスはないと、振り切って出発を決めた。


ところで余談ですが

 数ヶ月前の友人のnoteで、私のことがこんなふうに紹介されている。

「思い立ったが吉日」が座右の銘であれと願いたくなる、行動力に満ち溢れた、蒸気機関車のような人である。

「思考の洪水」がやってくるーぐすたふ

 まさに言い得て妙だ。
 思い立ったが吉日。今日を逃せばもう二度とないかもしれないチャンス。行こうと思った今日がそれに最も適している日。
 座右の銘は別になかったけど、今日を境に「思い立ったが吉日」を座右の銘とします。


出発直後の車内

 車を長時間運転する上で、どんな曲を聴くかは重大な問題だ。(村上春樹かぶれみたいな文だなあ)

 1曲目に選んだのは、札幌を拠点に活動するインディーズバンド「Chevon」が、元SMAPの香取慎吾さんに目をつけられ、共同制作した新曲「Circus Funk」。香取慎吾さんとChevonのボーカル谷絹茉優さんがツインボーカルで歌う作品となっている。
 告知が出てから配信開始を楽しみにしていたので、旅の始まりがこの曲になることが嬉しかった。
 Chevonの楽曲はすべてボーカルの谷絹茉優さんが作成しているようだ。ここまで全ての楽曲が刺さるアーティストは珍しいので、アルバムも聴き込んでいる。今回のコラボレーションは、そのChevonの良さが、一流のアーティストに認められていくきっかけになるのだろうと思う。

 今回ドライブで聴いた曲を、全て順番にまとめたApple musicプレイリストを作成したので、ぜひ、ところどころで登場する楽曲を一緒に聴きながら、風景を想像して一緒に宗谷まで行った気持ちになって欲しい。


 出発してすぐに道央道(北海道の根幹となる高速道路)に乗って北を目指した。札幌から道央道をひたすら北に走れば、旭川に行ける。

赤いラインがおおよそ"道央道" ☆印が旭川、反対側が札幌

 今回のルートは(そもそもほぼ1つのルートしかないが)旭川の近くにある街「名寄(なよろ)」で左に分岐して日本海側に出て、「留萌(るもい)」という海岸沿いの街に出る。この留萌という街は、雪がとんでもなく降ることでも有名だ。特に去年は極めて雪が多く大変だったそう。
 そして日本海に出てからは、「日本海オロロンライン」という変わった名前の道路をひたすら稚内まで海岸沿いに走る。数えるほどしか右左折をしない単純なルートで、5時間半を走る。
 走っている途中ずっと気になっていたので「オロロンライン」の由来について調べてみた。

「オロロン」は、天売島北海道苫前郡羽幌町)に生息する海鳥のオロロン鳥にちなんだものであり[1]、「オルルーン、オルルーン」という鳴き声からオロロン鳥と呼ばれるようになったといわれている[1]ウミガラスの別名である。

日本海オロロンライン-Wikipedia

 アイヌ語由来だと思っていたのだが、鳥の鳴き声そのものだったらしい。

札幌を出て、名寄で左に逸れる。留萌で日本海に出てひたすら北上する

 札幌から道央道を北上して、一番はじめに寄ったSA(サービスエリア)が「岩見沢SA」。

 岩見沢(いわみざわ)はここも超弩級に雪が積もることで有名で、札幌とはJRでも結ばれている街だが、JRもこの高速道路も、厳冬期になるとすべて不通になってしまうことがあり、陸の孤島と化す。

 昨年の真冬に岩見沢へ出張の機会があったのだが、その際は建物の1階の窓が8割隠れるほどの積雪で、現地の人に「すごい雪ですね」と言うと「いやあ、今年はそれほどですよ。少ないほうです」と言われてしまった。ひどいときは家から出ることができなかったり、車がすっぽりと埋まってしまったりするのだそうだ。とんでもねえ。
 その日はJRも順調に運行しており、バスも定刻で圧雪の上をばりばり走っていたので、「想定内」の積雪ということだろう。なんて強い街なんだ。

 さて、この岩見沢SAで、トイレに行く途中、不気味な看板を発見した。

ガス欠に注意!

 こんなふうにガス欠に注意を促す看板は道内各地に貼られている。ひとつひとつのSAが30km以上離れていることばかりで、もちろんSAに給油所があるわけでもない。だからこうして時々、次の給油所までの距離を教えてくれる。
 ただこの看板を見て私は冷や汗をかいた。今は札幌から北に向かっているので、次に通るSAは砂川SAのみ。ほかに並んでいる3つのSAはここから南にある場所ばかりなので通ることはない。
 そして砂川SAの給油所はよく見ると20:00までと書かれている。
 この時点で午前1時を過ぎていたので、とっくに営業時間は終了している。
 つまりこれから道央道を終わりまで走っても、給油できるSAはひとつもないということ。

 トイレを済ませてから急いで車に戻ってガソリン残量を確認すると、タンクの半分をすこし切っている。これはまずい。

 車のフロントパネルを操作すると「航続可能距離」というものが見れる。このガソリン残量で、あと〇km走れますよということを教えてくれる。よく給油を忘れがちな私はこの機能を重宝している。
 稚内まではのこり320km以上あるが、航続可能距離は100km台だった。半分も走れない。

 焦って高速道路外にある給油所を探すが、時間が時間なので、営業していてなおかつあまり道を逸れない場所となるとかなり絞られてくる。

営業中のガソリンスタンド。北側(画面上部)にはほぼない

 オカモトセルフ当別(とうべつ)SSとモダ石油美唄(びばい)店で迷ったが、高速道路からあまり逸れるとタイムロスになるので「モダ石油美唄店」へ向かうことにした。店に一番近いICで高速道路を降りる。
 「モダ石油」は道民が「安すぎて怖い」と口をそろえて言う破格のガソリンスタンドである。この機会に初めて利用した。

まにあった
レギュラー164.8円。やすい。21.19L給油しているが、当車種のタンク容量は27Lなので、あと5Lちょっとしか残っていなかった計算になる……。

 この写真2枚でわかると思うのだが、北海道では既にかなり厚着しないと寒くてしんでしまう。この時点で美唄の気温は11月中旬にも関わらず約2度。氷点下じゃないだけまだマシだ。
 下はユニクロでいちばん暖かい「暖パン」、上の服は、中に薄手のロンTを着て、その上からハーフジップのボアフリースをかぶって着ている。これでもまだちょっと寒いくらいなので、いちおうくるぶしまで丈のある中綿のロングコートも車に乗せている(しかもこのロングコートは昨年の岩見沢出張の際に「足まで布がないと寒い」と聞いて事前に買ったものだ)。
 北海道旅行に行く方は服装の参考にしてほしい。

給油のために高速道路を降りる前。宗谷岬までの距離は323km。給油しないとかなりまずかった。

 このあたりでは自動選曲でひたすらVaundyさんの曲が流れていた。裸の勇者、風神など名曲ばかり。
 みなさんはVaundyさんの曲の中でどれが一番好きですか?(唐突)
 私は「Tokimeki」が好きです。なぜか自動選曲で流れなかったのでプレイリストには入っていないのですが、ヘビロテするくらいには好きです。

 こうして岩見沢SAの看板によって命を救われ、美唄ICからもう一度、北に向かって高速道路に乗りなおすことにした。 
 この時点でまだ3分の1も旅路がすすんでいないことがなによりの恐怖である。北海道はでかい。



まずは留萌、そして日本海を目指す

 道央道を深川市(旭川の近く)まで走ると、「深川・留萌自動車道」の分岐を進めとナビに指示される。NEWSのチャンカパーナが流れ、気分もなおさら高揚する。

チャンカパーナ、アガる


 「深川・留萌自動車道」はその名の通り、深川という街から、さきほど地図で紹介した、日本海側にあって雪がとんでもなく降る留萌という街までをつなぐ自動車道である。
 道央道ではずっと片側2車線だったのだが、この深川・留萌自動車道に逸れてからは、ほとんどが片側1車線で追い越しができなくなる。尤も、追い越したくなるような自動車はこの時間帯に走っていないのだが。

 そして、道央道では道の端にあるのは反射板のみだったのだが、この反射板すらもなくなり、ひたすら道幅を示す誘導灯のみとなる。これは大雪の際に「ここが道の端ですよ」と示してくれるものであり、札幌市内にはあまり多くないが、江別市、北広島市など、札幌郊外に出るとよく見られる。おそらく街灯や住宅街、商業施設の明かりが少なくなるので、ホワイトアウトすると、どこまでが道路で、どこまでが農地なのかわからなくなるためだと思う。

 ちなみに実家のある滋賀県北部周辺でもホワイトアウトを体験したことがあるが、自分がどの方角へ向かってハンドルを切って進んでいるのか皆目見当がつかなくなる。
 この誘導灯が滋賀県北部にもあれば助かるのだが、おそらくはそれが起こる頻度と規模の問題で導入しないのだろうと思う。

 留萌に荷物を届けるためにはこの深川・留萌自動車道を走るしかないため、この道路が通行止めになれば物流も止まる。下道で行けないことはないが、どちらも同じようなものだ。そんな厳しい大地で物流を支えるドライバー、たちを支えているのが、この誘導灯であろう。

 深川から留萌まで、自動車道を降りるほか休憩する手段がなく、SAもPAも一切なかったので、写真が一枚もない。モダ石油美唄店を出発してから、おそらくは2時間ほど走りとおしだっただろうか。

 しかしここの景色は写真では写し切れないほど北海道の魅力が詰まっていた。現実味のない景色に、もともと大好きなエド・シーランのShape of Youを合わせて楽しむ。

 走っても走っても、道端で緑色の矢印型の誘導灯が等間隔に光っている。真っ暗闇の中をはるか彼方までつづいている。街灯はほとんど無いのに、誘導灯の間隔とうねり具合だけで、この先の道の線形が分かるのだ。それが徐々に上り坂になり、まるで天まで導く銀河鉄道のレールのように見えた。

 そこで、この道路を走りながら、ゴダイゴの「銀河鉄道999」を流してくれとSiriにお願いした。

 見える範囲の景色はすべて暗闇と果てしなくその中をすすむ誘導灯、そして自分の車が放つヘッドライトに照らされて時々目に入る道端の小さな雪の塊とアスファルト。それだけで、このまま本当に、銀河に向かって空を走り出して、帰ってこられなくなるんじゃないか。そんな気持ちになった。

 車のパネルが教えてくれる外気温はマイナス2度。それを感じさせないほど、車内は暖かく、そして幻想的だった。


留萌という街に着いて

 そんな道路を、道央道を逸れてから1時間ほど走り、そして一度もブレーキを踏むことなく、右左折もすることなく、ようやく街の灯りがほのかに見えてきた。留萌だ。

 ようやくブレーキに足をかけて減速し、自動車道を降りると、海辺の街らしい町並みが見える。おそらく漁業等を支える公共の施設がひっそりと佇んでいた。営業中のコンビニやガソリンスタンドはまだ見当たらない。

 この時点で2時間以上運転をしているので、どこかで休憩できないかと見渡してみるが、どうやら道の端に車を停めるほかないようだった。

 そうしてもいいのだが、どうしても追突されるリスクが怖いので、もう少し走ってコンビニや道の駅が見つからないか探してみることにした。

 マップに指示されるままにまっすぐ進み、(この時点では暗すぎて全く分からなかったのだが)日本海に突き当たったところで、T字路を右に曲がった。北上していく。

 この右折した道路が「日本海オロロンライン」である。ひたすらに北海道の輪郭をなぞるように、左に日本海を見ながら北上する。

 少々走ったところで、ふと左に目をやると、漆黒の海の向こう側に、赤黒い月が沈もうとしているのが見えた。その非日常間に、心を摑まれた。

 この景色を撮っておかないと後悔するかも。

 ちょうど左脇にバス停があって、道路が少し広くなっていた。こんな時間ではバスも来ないだろう。もう既に午前3:00になろうとしていた。

 車をバス停に寄せて停車し、写真を撮った。

月と、黒い海と、ねむるバス停


 自分が風景画を描けないことを恨めしく思った。絵が描けたら、この風景を目で見たまますばらしく描きたいのに、写真にすると、どうしても私の目を通して見るより現実的に映ってしまう。

 日本海に出てから、深川・留萌自動車道を走っているときよりは気温が落ち着いたようだったが、外に出るのはモダ石油美唄店以来だったので、寒くてすぐに車内へと戻った。

 バス停から少し走ると、まばゆく光る営業中のセブンイレブンを見つけた。駐車場も広く停めやすそうだったので、トイレを借りて、なにか軽食を買うことにした。

 といっても、大した夕食を食べたわけでもないのに、頭がはっきり冴え過ぎているせいかあまり食欲はない。食べたいもの、というのもない。
 完全に「食べんでもいける」「寝んでもいける」状態になってしまっている。
 消去法でこんなときに仕方なく食べるのは、いつも「したらば」。

夜勤の店員さんは、こんな時間にしたらばを買う不審者にも親切だった。


 学生時代に、小説を書きすぎて頭が冴えてしまい眠れなくなった夜も、食欲がないほど気持ちが落ち込んで何も食べれなくなったときも、「したらば」を食べておけばいいという対処法を見つけた。

 だいたいどのコンビニにも置いてあり、カロリーもそれほど高くないのに、タンパク質豊富らしくぼちぼちエネルギーが摂取できる(しらんけど)。

 酒のつまみにされるほど味も濃くて、どんな味がするのかよくわからなくなってしまっている疲れた脳みそにはありがたい。

 ここで可能であれば仮眠でも取ろうとは思ったのだが、出発して約3時間弱、未だにろくな休憩も取っていないのにまっっったく眠くなく、したらばをむしゃむしゃ食べたらすぐに出発した。


あとはひたすら北へ走るのみ

 このコンビニ以降、本当に1、2回しか右左折も停車もしていないのではないかと思う。海岸線に沿ってひたすら北へと急いだ。


路肩に停めて撮った誘導灯。一斉に点滅する。
稚内まで172km。
本州だと、大阪-岡山、東京-静岡ほどの距離。

 途中、写真を撮るために駐停車を幾度かしたものの、そうでもしなければ1度も止まることなく走り続けるはめになる。信号機も、覚えている限りだと1、2回しか見かけていないはずだ。
 めずらしく信号で停車したのは、おそらく「苫前(とままえ)という街だったと思う。ホワイトアウト対策のためか、真っ赤な反射剤で塗られた道案内の看板が印象的だった。

真っ赤な看板。
書いてあることは普通なのに、脳が危険で重要な情報だと認識しようとする。怖い。
睡眠中のセイコーマート。
セコマは大概24時間営業でなく、夜になったら寝る。
羽幌(はぼろ)の街並み。
雪国特有のやわらかい色の街灯が良い。

 羽幌町では、留萌を出て以来、久々に街らしき街を見たので、街灯の並びがあまりに綺麗で車を停めて写真を撮りたくなってしまった。
 この街にも信号はあったが、それほどひっかかることなく進んだ。

稚内まで132kmと徐々に距離は縮んでいる。

 「初山別(しょさんべつ)」の看板が初めて見えたので写真を撮った。稚内までは132kmと近づいてきているが、これで「あともう少し走れば100kmを切りそうだな」などと考えてしまうのが長距離ドライブの怖いところなのだ。132kmは全然近くないし、99kmになっても全然近くないのに「もうすぐだ!」と錯覚してしまう。
 このあたりを走っているときはずっと昭和歌謡を聴き続けていた。街の柔らかな街灯がどこか懐かしい気持ちにさせてくれる。親の車で昭和歌謡を聴きながら、遠くのスキー場へ出かけた日々を思い出させるのだろうか。スキー場があるような街は、たいてい羽幌のようにオレンジ色の街灯が多いものだ。青白い街灯だと雪に反射して眩しすぎるし、ホワイトアウトした際に視界の妨げを助長するからだ。

月の入り。日の出のように見える。

 途中から昭和歌謡の自動選曲に飽きてきて、唐突にボカロの「だんだん早くなる」が聴きたくなったのでSiriに頼んで流してもらった。この曲を聴いたからといって、稚内に早く着くわけではないのだけれど、等間隔に流れていく誘導灯をじっと見ているとなんだか聴きたくなってしまった。

相変わらず等間隔に立つ誘導灯。
これだけで北海道の風景は様になる。

 一般道に降りてから道の駅に寄れる機会は何度かあったのだが、真夜中に田舎の道の駅に女1人で寄る勇気がなく、ギリギリまで攻めていた。
 コンビニを出て2〜3時間経っただろうか。さすがにトイレにも行きたいし飲み物も補充したかったので、オロロンラインに面している「道の駅えんべつ富士見」で寄り道をした。

道の駅えんべつ富士見。
トイレが中にあることで、超寒冷地であるか豪雪地帯であることがよくわかる。

 トイレを借りて、そのあとすぐに自販機で買い物をした。すぐそばが日本海なので風がすごく、めちゃくちゃさむい。

「安心で良質な道産の…
…道産の農畜産物や」
自販機にも地域柄が出る。
やみつき炭酸!
ガラナでカフェインチャージをする。

 キリンが製造・販売している北海道限定の飲み物「ガラナ」。
 ガラナという植物の実を使用している。コーラとドクターペッパーの中間のような炭酸飲料だ。北海道民にも人気があるし、お土産としても有名だ。失礼ながら、私は北海道に越してくるまで存在を知らなかった。
 少々カフェインが含まれているらしいので、運転にはちょうどいい。
 駐車場はほかに車が1台停まっていたが、誰か降りてくる気配もなかったので睡眠中だった可能性が高い。なるべくオーディオを静かにして、用が済んだらすぐに走り出した。

久しぶりに曲がれと言われたので、珍しくてスクリーンショットを撮った。
緑ランプの誘導灯が矢印に変わった。
自治体や気候特性で変わるのだろうか?

 この先はダイヤモンドダストが起こる天塩川で有名な「天塩(てんしお)」という街を走り、牛乳などの商品名につけられる「サロベツ原野」を通り過ぎる。どちらも素晴らしい景色が望めるはずなのだが、真っ暗で自分の車のヘッドライトが照らす範囲と誘導灯が光っていることしかわからない。

天塩防災とは、国道232号のバイパスのことらしい。
耐震性が怪しい別の道路の代わりに作られたとか。
ここも久々の曲がり角なのでスクショが残っている。
曲がり角を経て幌富バイパスに入る。
-2℃。
納車から2、3日で674kmも走らされ、
氷点下にさらされるかわいそうな愛車。

 また久々の曲がり角を経て、幌富バイパスという自動車専用道路へ入っていく。ラストスパートだとこの時は思っていたが、いまになって冷静に考えるとあと75kmあった。

のこり1時間をきって嬉しくて撮った。

 幌富バイパスを進み、残り1時間を切った。距離もあと70km。充分遠いが、今までの道のりに比べたら屁でもない。
 しかしこのあたりからさすがに眠気、というか脳の疲れを感じていた。5時13分。徹夜明け。休憩するべきだが、休憩する場所もなく、そして事故を起こしても単独事後にしかなり得ない場所なので、馬鹿でかい声で歌を歌ってやり過ごすことにした。(真似しないでほしい)

LisaのRising Hopeを歌ってやり過ごす。

  Official髭男dismの「ノーダウト」、Lisaの「Rising Hope」をライブさながらの声量で歌い、フロントガラスの向こう側にいない客席を見ながら、飲み切ったガラナのペットボトルをマイクにしてコールアンドレスポンスを求めた。この時が一番、気が狂っていた。どうかしていた。
 そうこうしているうちにバキバキに目が覚めてしまい、あともう少しで稚内付近のインターだった。
 背後からは、朝日が迫っていた。
 運転中で写真が撮れなかったのだが、ブルーベリー色をした空の下から、押し上げるようにして淡いピンクの、ストロベリー色の空がじりじりとあがってきていた。境目は青とピンクが混じり合って、いつかどこかの喫茶店で友達と飲んだベリーソーダの色をしていた。
 ベリーソーダの空に追いかけられている。早く宗谷岬に着かなければ。
 そんなことを考えながらインターを降りた。


いよいよ稚内へ

 インターを降りてしばらく走るともう稚内市だ。いよいよここまで来た。道路上で見る案内板の行き先も、「稚内」という表示は消え、「稚内市街」「宗谷岬」のように、詳細な地名へとかわっていった。空が徐々に明るくなり始め、景色が鮮明に見えるようになってきた。

稚内の景色には、風車が多い。
ハワイアンソーダっぽくなってきた空

 稚内には風力発電のための風車が多いが、おそらく強風が多い気候で風力発電の効率がいいのだろう。風車は間近で見ると表面の塗装がボロボロになっているものがある。凍結が激しい証拠だ。

11月半ばで-6℃。
矢印も誘導灯もどちらもある。
このあたりは路面凍結していたのでゆっくり走った。
完全にハワイアンソーダ。

 風車の多い丘を抜けると、海岸沿いの平坦な道に出た。空も明るくなってきて、看板にはこの先宗谷岬だと書かれていた。

宗谷岬までもうすぐ
沿岸の景色
「宗谷1」のバス停

 「宗谷1」と単純な地名が書かれたバス停が佇んでいた。冬も走っているのだろうか。
 沿岸を走りながらLittle Glee Monsterを聴いていると、「MY HOME」という昔の曲が流れた。
 この曲は、Little Glee Monster初の大阪城ホール公演で披露された曲。関西のみで流れている「ちちんぷいぷい」というテレビ番組が、メンバー5人のうち4人が大阪にゆかりのある人間であることに注目して、デビュー直後から頻繁に密着取材をしていた。Little Glee Monsterが晴れて大阪城ホールで凱旋公演的にライブを行うことを記念して、ちちんぷいぷいのレギュラーレンバーのヤマヒロさんと制作したのがこのMY HOMEという曲。
 この記事の先頭に貼り付けたApple Musicプレイリストで聴けるので聴いてみてほしい。
 この曲には、大阪を懐かしく大切に想いながら東京で活動するメンバーの気持ちが綴られており、その歌詞と自分の現状が重なって、目的地を目前にして泣きたくなってしまった。
 今日、この宗谷岬訪問が済んだら、私はいよいよ事実上、北海道を去ることになる。関西に帰れる。知っている人に、大切な人にいつでも会える。でもこの北海道で、憧れの仕事を頑張った日々は無駄だと思いたくない。せめて綺麗な想い出にしたい。帰れるのに、なんだか名残惜しくて仕方なかった。この地にあるのは「もうこんなところ嫌だ」というネガティブな考えではなく、「もっと頑張れたらなあ」というやりきれない気持ちだ。
 稚内の海にはなんの想い出もないけど、ここは北の大地の端なのだと思うと、ここから先へは本当にどこへも行けないし逃げられないのだと感じ、自分を非力に思った。

 それからLittle Glee Monsterの曲を数曲聴いていると、ついに宗谷岬へ到着した。

宗谷岬に到着。

 朝の6時21分。札幌の自宅を出てからおおよそ6時間半。ついにだ。


宗谷岬

 観光駐車場があったので車を停めた。私の他に、1人で来ている男性がいた。高そうな一眼レフを手に、景色を撮ってまわっていた。
 一旦公衆トイレを借りて一息ついてから、いよいよ日本最北端の碑へと向かった。

日本最北端の碑

 空の青と朝日が混じり合って、北側の空はスカイブルーと淡いピンクが入り混じる幻想的な景色となっていた。その空の色が風の少ない凪いだ海に反射している。

向こうに見える島は樺太(サハリン)だ。
どこを見渡しても、クリアな海に淡い空の色が映り込んでいる。

 東の空は朝日が昇り、朝焼けがはっきりと見える。

 風が時々髪を揺らすのみで、1人旅のカメラマン以外に観光客も居らず、ただ静かに太陽が登るのを待つ朝の時間がゆったりと流れていた。
 自分の現在地が地図上で見てみたくて、Googleマップを再び開いてみた。

めっちゃ北にいる
なかなか見ることのない現在地。

 最北端にきた、という実感が強まってきた。実家のある関西よりも、札幌の自宅よりも、ロシア領のほうが近いのだと思うとなんだか変な感覚だった。感じたことのない違和感だ。海の向こうに見えているのが外国なのだとはなかなか信じ難いものだ。兵庫県から見る淡路島のように感じる。

納車から2、3日で日本最北端まで走らされた愛車。
すまんが君にはあと10万キロは走ってもらう。

 この愛車には今からまたら6時間半かけて札幌の自宅に帰るだけでなく、その後苫小牧港まで走り、フェリーに乗せられて敦賀まで航行し、その後滋賀実家まで走ってもらうのだが、さすがにブラック企業に就職した新入社員のようで可哀想になってくる。でも大事にするからな。


日本最北端の地には

 果たして、日本最北端の地に行って何を見たのか。何を感じたのか。
 それが結局、限界紀行文に一番大切なものだとは思うのだが、樺太(サハリン)を眺めながら「日本最北端の地には何があったのか」と自分に問うと、つまるところ「何もなかった」と感じるのみだった。
 旅は時に、ひとりの人間の人生を変える。だからこそ、劇的な感動や価値観の変化を求めて、人は苦しくて旅に出る。
 ずっと行きたいと願っていた「宗谷岬」には必ず今日行かねばならない、今日を逃してはもう二度とないかもしれないと感じた。だから今日来れてよかった、とは思ったものの、そこには劇的な感動や価値観の変化が起こることはなかった。逆に言えば、その「何もなさ」に少し安心したような。そんな感情になった。
 私が2年弱生活をした札幌市にも、これから帰る地元関西にも、この宗谷岬にも、等しく太陽は登ってくる。日照時間や気候こそ違えど、そこに流れるただの日常の事実は変わらない。ただ朝日が昇って、おりるだけ。複数の人間がそこを選んで生活しているだけ。その事実は、日本中どこへ行っても変わらないし、世界のどこへ行っても変わらない。
 いつも変化を求めて、刺激を求めて札幌まで仕事でやってきたが、細かい違いはもちろんあるけれども、自分自身が劇的に変わることなどない。昨日の自分と今日の自分はつながっているし、昨日の宗谷岬と今日の宗谷岬はつながっている。ただそこに佇むだけ。
 外側に変化を求めるのはやめよう。もっと自分の言動ひとつひとつを、考え方ひとつひとつを見つめなおそう。そう思った、というのが、今回の旅の結論だった。つまり、外界に自分を変える取っ掛かりを探すのはやめようと自分に言い聞かせたのだった。


帰り道、また6時間半の運転。

 絶望である。ここまで6時間半かけて来たということは、6時間半かけて札幌に帰らなければならない。それだけでなく、役所等に行ってやるべきことを終わらせて、21時頃には苫小牧港に居なければならない。自分で選んだことだとはいえ、人生でこんなハードスケジュールになることが他にあるだろうか。

 少し寝てから出発するつもりが、目を閉じてもまったく眠くなく、うなされるようにしてまた目を開いて、閉じて、開いて、の繰り返しだった。もう自分の手に負えないので、コンビニのある街まではとりあえず運転してみることにした。またどうしようもなく眠くなったら、コンビニで寝ればいい。そしてコーヒーなどカフェインを注入して運転するほかない。(真似しないで)

 運転し始め、稚内市を出たあたりでふと気づいた。
 深夜に暗闇を走ってきたせいでまったく見えなかった北海道の原野ともいえる広大な景色が、朝日が昇ったおかげで行きと違ってよく見える。
 草木の一本一本に至るまでくっきりと見える。朝露を浴びて、朝日に照らされて、植物たちが光っていた。神様が、水分をたっぷり含んだ絵筆に絵具を混ぜて、指ではじいて彩色したように思えた。
 行きには見えなかった河川が見えたり、牛が広大な敷地で放し飼いされていたり、人間が地球を支配する前の景色ってこんな感じだったのかな、と考えながら車を南に走らせた。
 帰りは停車して写真を撮る気力もなかったので、ほとんど写真がない。
 何にもない。それがいい。何にもないところが、北海道の一番魅力的なところなんだ。
 途中、サロベツ付近で珍しく信号にひっかかり停車していると、斜め左前に小学校があった。その小学校へと通学中の男子児童が、ランドセルを背負って私の目の前の横断歩道を渡っていった。これから学校行くんだな。頑張れ。閉鎖的なところってきっと辛いときもあるけど、こんな素敵なところで生まれ育った君には絶対に素晴らしい感性が育っているぞ。徹夜明けの休職中24歳が小学生にひっそりとエールを送った。

 途中、さすがに眠気が限界に来たところでセイコーマートを見つけたので10分ほど仮眠し、また次は留萌で行きにしたらばを買ったセブンイレブンで20分仮眠しただけで札幌へと戻った。どんどん車窓は人間の手が入った街へと変容していって、現実へと引き戻される気持ちだった。
 札幌の自宅に到着した頃、時計を見てみると、出発からおよそ12時間半が経過していた。時計の針が一周して出発したときとほとんど同じような場所を指していたので、ちょっとしか時間が進んでいないように感じて変な感覚だった。
 動悸がはげしかった。


後日談

 稚内から帰ってきた日の午後22時半ごろ、私は予定通り苫小牧港をフェリーで出発した。その翌日の20時頃には敦賀へと到着し、電車で迎えに来てくれた家族と共に車を走らせて実家へと帰宅した。津軽海峡を抜けるとようやく明け方、というような所要時間で、とんでもなく遠い場所に住んでいたことを改めて思い知った。

 その数週間後、かつて通院していた心療内科へと足を運んだ。
 引越してから約2年弱経過しており、診察のシステム上は初診扱いになること、そして院長先生が別の人に替わったので、先生とは初対面となることを告げられた。
 しかし他の病院をまったく初診で受診するのとは違い、カルテが残っており、知人が通っていて「良い先生だ」と言うのでそこの病院に継続して通うことに決めた。

 そして初めての診察の日、先生は私が書いた問診票を見てこう言った。
「住所を見てびっくりしましたよ。○○って書いてあるから」
 私の札幌市内の住所の町名についてだった。まだ会社の手続き上賃貸契約を結んだままになっており、住民票をまだ移せていないので、札幌の住所と実家の住所の両方を問診票に書かざるを得ない状況だった。
「実はこの○○という場所、僕が札幌で酔ってバイクの鍵を失くしたときに、札幌で2週間ほど先輩の家に居候させてもらった場所なんです。いやあ、びっくりしました」
 私もびっくりした。背景事情が気になりすぎるが、酔って鍵を失くす人を見たのは初めてではなかったので、一旦その点はスルーすることにした。
 先生はバイクで北海道一周している最中だったと話す。それは大変でしたね、とアイスブレイクとしては奇異な話題を済ませて診察へと移った。
 私の主訴は「気分の上下の振れ幅が激しすぎる」ということ、そして「気分循環症と診断を受けているが、明らかにその範疇で収まらない気がする」ということだった。その1つのエピソードとして、「稚内まで12時間半運転したがほぼ眠くならなくて怖かった」と伝えた。
 すると先生は「それはハードコアだね」と神妙な顔をしたので、思わず笑いそうになってしまった。確かにハードコアだ。
「僕もバイクで行きましたよ、稚内。日本海側をずーっと通って……」
「日本海オロロンラインですよね」
 私はあの壮大な景色を思い出して、嬉しくなって思わずそう言った。
「そう!」
 先生もなんだか嬉しそうだった。

 診察中に話が横道に逸れまくったが、結局初回の診察でわかったのは「軽躁エピソードが明らかに気分循環症の範疇に収まりきらない」ということだった。自分の感覚が間違っていないのだと安心したし、それが分かれば適切な服薬もできそうだとひとまず安心した。
 先生とも、自分の病状とも長い付き合いになりそうだ。
 とにかくこういった旅程はなるべく真似しないでほしいし、真似できてしまった場合、正常な精神でない可能性が高いので病院に行ってほしいということを最後に伝えておきたい。
 


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