飛び方を知らない鳥。

お盆休み中に高校の友人と会っていたから、昔の切ない気持ちを思い出した。


高校時代の母親は今で言う精神追い詰めてくる系の毒親だった。
ほんとはやってみたいことはあっても、応援してもらえることはなく。
あんたには向いてない、そもそも金になるの?とか、精神的な面から母親に追い詰められて返せる力も心も覚悟もなく。
あんたには似合わないあんたには必要ない。
そう言われ続けてくるとだんだん自分が何も出来ない人間のように思えてきて、夢を描くのを辞めた。

センターの申込書を目の前でビリビリに破られて。
妥協した未来に納得しようとした。

父親はほんとに(大学に行かなくて)いいのか?と聞いては来たけど、母はジュニアオリンピックに出ていた妹に執心していて、あの時の母を父もどうにも出来なかった。

本当は東北にあるとある大学に進学したかったけど。結果早々に諦めてとっとと資格を取れる地元の専門学校に進路を決めた。

しかもその直後に私は脳腫瘍との闘病が待っているという大きなおまけ付き。医療費やら、専門学校の休学やらの費用で多大に両親には迷惑をかけてしまい、当時は自分にも腹が立ったし、だから進学なんてさせなきゃ良かったんだって言った母の言葉は忘れられないけど、それでもただただ申し訳ないし感謝しかない。

そんなこんなでありがたいことに地元の医療系の専門学校を出させてもらったおかげで手に職をつけることが出来、就職して貯金して大学に編入学して、今の仕事の資格をとって今に至るけど。


たぶん今の私はあの頃とは違って全然自由なフィールドにいるはずで。

弊害になっているのはいまアラサーだからこその安定を求めがちな心と、本来夢を描くであろう年頃に夢を見なかった後遺症的なものなんだろうか。

あの時自由に夢を描いてそれを叶えようと動くことすら叶わなかったわたしは、飛べなくなったノミのように同じところを同じ高さで飛び続けているみたいだ。

鳥ですらない。

夢の描き方。
やりたいことの見つけ方が分からない。
なんなら自分の好きもつい最近までわかんなかったくらいだ。
ようやっと、自分の中の好きなものが分かってきた。
リハビリというより新たに得ていくような感覚だ。


今更、子供みたいな純粋さはない。

母は昔のようなヒステリーや精神的に追い詰めてくることは減って、別人のように普通っぽい人になった。
(今は落ち着いてきたし関係は改善傾向)
あの時出たい出たいと願っていたのになんだかんだ今も実家に住まわしてもらっていて。
けど不快指数は高まってきてて。

今の仕事は不安定でいつまで続けれるか分かんないし。
そんな状況でアパートなんて借りれないし。
あーーーー。

じゃあ安定した生活を心から望んでるかと言えばなにしたいのかが分からない。
不安定でも楽しいことしたいけど。



大人になればなるほど現実が見える。

夢はそんな現実が見える前に描いた方がいい。
その方が絶対勢いで叶えられることがある。
大人になれば妥協も、計算もある。
歳を重ねるごとにかけるエネルギーの量が多くなければ動けなくなる。

動けねえ。まじ。

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ぽむ**
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