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他者を変えるということ、変えたいと思うこと


noteを書く度にいつもタイトルに迷う。

今回は他者を変える、というテーマです。
皆さんは他者を変えたいと思ったことがありますか。


他者を変えたいの気持ちの裏には
思いどおりにしたいという自分本位な考えがいると思っています。良くも悪くも。


「こうしたらいいのに…」
「これが正しいのに」
「こうして欲しいのに」
「〜であるべき、〜すべき」

そう思うこと自体は悪くないのになんだか悪いことを考えてる気持ちになってしまう。
それはなぜか。

相手の気持ちがついてきていないから、なのである。




私が最初に他者を変えたいと思ったのは
長く付き合った恋人に対してだった。

息をするように嘘をつくところ
浮気を繰り返すようなところ
自暴自棄になりやすいところ etc...

彼自身は素敵な人なのに…
私も傷つくけど周りもきっと傷つくし
彼は今後の人生で損をする
彼の一番近くにいる私が変えてあげなきゃ
という思考回路をめぐらせ
10代の3年半という長い時間をかけた。


結論、他者は他者自身が変わりたいと本気で
思わなければ変わらないということを悟った。
彼自身が自分のことを受け入れてたり
現段階で損をしていなかったり、
今までの環境や生活で培ったもので
自分を守ったり、有益を得てきているとしたら
変える必要性なんて本人は何一つ感じたり
考えたりしていなかったのかもしれない。
(考えてて無理だったとしたら本当にごめんね)



どのくらいたくさんの時間や精神(メンタル)を
かけたとしてもただのお節介な人になる。
他者に時間や気持ちを使うということは
そんなこともざらなのだ。


だから他者変えるということは
相手の気持ちを変えることと同様に難しい。
自分自身を変えることさえ難しいのだから
その難易度といったら計り知れない。


そのため、ある程度は
「自分目線の許容」をすることも
多くの他者と「共存」するためには必要なのである。



極論だが、これから強盗をしてやろうと思ってる人に
急に強盗はやめた方がいいという正論を
ぶちかましてもその人は辞めることは無い。
ならば周りへの被害を最小限にするようにする。
あるいは巻き込まれないように逃げることも
時には大事なのである。


これは諦めと違うと私は思っているが
それ以上に似合う言葉が見つからないので
何かあったら教えて欲しい。





少し回りくどくなってしまったけど
きっと相手を想い、変えるべきと思ったことなら
その理由を持ってして相手に伝えることが
できるんじゃないだろうか。
その手間を考えた上で伝えるべき相手も
精査できるのではないだろうか。



綺麗事に聞こえるかもしれないが
相手のバックにある環境や生き方をどれだけ
相手にとって他者である私が口を出して
踏み込めるのだろうかという重みを持って
他人を変えたい、という気持ちを
初めて肯定できるような気がするのだ。
そしてそれはやっとの思いで相手の心に
刺激を与えられるかもしれない


うん、やっぱりそうなると
職場の人間関係などでは「変える」よりも
「相手を知ろうとする、自分を知ってもらう」
進めた方が早いし、
その上でどうしていこうか?としたほうが
心もすり減らないなと思うんだよね



ねぇ、みんなはどう思う?



end

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