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不安に溺れる


みなさんは不安に溺れることがありますか?

初めてのことや、乗り越えられないかもしれない壁を目前に焦り、迷い、だけど何も出来なくて蹲っている。そういう時間ありますか?
確かに生きているはずなのに生きた心地がしない。血の気が引いてる、そんな感じ。

たぶん今しか感じないことなので
今書いてるのだけどこの話に着地点は特にない。
だってこの感情を持つものが私だけじゃないことを私は知っている。
しいていうならみなさんはこの不安とどう戦っていますか?
身を任せていますか?不安の種を見つけて処理していますか?不安の種があるであろう場所を見ないようにしてその時までそのままにしておきますか?


本当に人それぞれだと思うのだけど、私は未だにこの不安に対する自分の中の対処法を知らない。ただ怠惰なだけかもしれない。勉強法だって学生のうちに見つけられなかった。
人によっては私を器用貧乏と呼ぶ人がいるけど私はコツを見つけるまではずっと泥の中に引きずり込まれるような気持ちでいる。ただ呼吸をするだけでやっとなのだ。


今週が特にそうだった。1年に1度とらなきゃ行けない連休を取るべきでは無いところで取ってしまったと気づいたのは休みの一日目だった。
そして何も出来ずに最終日を迎えている。
結局休めていたかと言われたら何もしていても仕事が頭にチラついて心はずっと休まらなかった。

どのくらい自分が時間をかけたら仕事が進むのか、まだ分かってもいないのにたくさんの仕事を抱えている。仕事に正解はありません。ある程度やり方はザックリありますが、過去から探したり自分なりに考えてどうしても分からなかったら聞いてという優しくも手厳しい先輩たちの元、正解のないものをずっとあたふた探し回っている。あるのかも分からない自分なりの正解を探しながら。


私はどこか完璧主義で、間違えてはダメだという自分を許せないところがあってそのせいであがり症やら緊張しいやらがお腹に来てしまったり発表の前は血の気が引いてたりする。何時間も前からソワソワ落ち着かない。それが不安から来るものではなく完璧主義から不安へつながっているように理解したのは本当につい最近のことで。
長く生きればなれると思うていたけど年々酷くなっている。完璧主義ゆえなのか、これはもう完璧にできないと思うと極端に思考を停止したりするのも悪い癖だと思う。

そういえば社会人になりたての1年目も毎日のように支度を終えて布団に戻り、抱えきれない不安をどうしようも出来ず泣いていた。

きっと私を強い人間だと思ってる人はここで驚くだろうが、私は人に涙を見せることは基本しない。ポジティブで打たれ強い、お調子者でいつも笑ってて前向き思考で人へのアドバイスなんかもしてる。その反動が1人の時に出ると思ってくれれたら良いと思う。

生きるのって難しいの言葉に人それぞれ違う意味があると思うけど私は自分の性格を理解し、他人と社会と上手く共存し、ある意味私の性格を乗りこなすことが難しいなぁと思うことが多い。

大人になったらまた操縦不能になったりするんだろうか?なんて考えてたらちょっと笑えてきた。私のおじいちゃんおばあちゃんたちも昔居たマンションの管理人さんたちもとっても素敵な人達だった。よく考えたら不完全さが垣間見れる好きな人達が沢山居た。

上手く生きられなくても彼ら彼女ら達みたいになれるのならそれはすごく本望だなぁ。

気づいたら歳をとることが怖くなくなったのはその考えのおかげだろうか。


私より長く生きてる人達に相談して見るのも手だなぁと思いながら喫茶店のマスターに今日も話しかけられないでいる。


マスター、次会うのは不安を乗り越えた後の別人のような清々しい顔のわたしだよ👶🏻





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