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#15 複雑

人が人と出会えば、いろいろなことが起きる。
それだけのことよ。

マウリツィオ・ジョバンニ「P分署捜査班 集結」直良和美訳 東京創元社

 私がまだ二十代だった頃経験した、後年カウンセラーのキャリアを重ねるうえで重要な2つの教訓を得ることとなったあるエピソードがある。
 当時私は、国の内外で起きる武力紛争や自然災害、飢饉や疫病に対する人道援助や救援を主な任務とする国際機関の日本支部の職員をしていた。ある海外出張からの帰国便の中で、ひとりの北欧出身の中年男性と隣同士になった。身なりがよくいかにも有能で多忙なビジネスマン風情といった雰囲気を醸し出す人好きのする落ち着いた物腰のその男性は、かなりラフな服装で乗っていた若い私を最初は観光目的か学生だと思ったようだった。が、私の所属機関や出張の話を聞くなり、自分も若い頃に人道援助活動でアフリカや中東諸国を渡り歩いた経験があるのだと笑顔を浮かべさまざま話を披露してくれた。
 話も終わりに近づいた頃、私は彼に今どんな仕事をしているのか訊ねた。
 すると彼は、ニコニコしながら『武器製造会社だ』と答えた。聞けば彼は、様々な国や地域を回り兵器その他の軍事装備品を売り込んだり売買契約の仲介を主な仕事とする兵器ディーラーだったのだ。
 当時の私のような仕事に携わる人間からすると、兵器産業やいわゆる武器商人と言われる存在は、否定しがたい現実はさまざまあるにせよ内心嫌悪の対象でもあった。ましてや、その直前まで交わしていた話の内容や彼の人柄とはさまざま逆行するように思われたいわば「素顔」に私は少なからぬショックを受けてしまった。
 若さゆえの正義感なり義憤のような感情もあったのだろう、皮肉も込め兵器ビジネスは儲かるでしょう?と質問をしたところ、彼は真剣にしかもお互いそこはよく知っているよね的な表情で頷いてきた。『すごく儲かる。特に政情不安定な国や地域が数多くあるアジアやアフリカではね。とても重要でいいビジネスだ』『今回も大きな取引がまとまれば家族と素晴らしい海外での休暇をたっぷりと楽しめるからね』『そのうち、日本へも休暇で是非行ってみたい』私の今後の無事と健闘への気遣いの言葉を残し、彼はトランジットのため途中のクアラルンプールの空港で飛行機を降りていった。
 若かりし頃の人道援助の現場での情熱や、世界各地で止まない紛争の現状への嘆き、平和で豊かな暮らしと家族への感謝を語る一方、兵器の売買ビジネスにポジティブに関わることに何の矛盾もわだかまりも感じていない様子だった彼をいったいどう理解すればよいのか、言葉は少々過激になってしまうが、そのいわば分裂的な思考や人柄について当時まだ若く未熟な私はついてゆけなかったのだった。
  

 『後年カウンセラーのキャリアを重ねるうえで重要な2つの教訓』の1つは、人にはときにどうにも理解しがたい複雑な一面があり、それはまた自己においても例外ではないということに意識的であるべきだということだ。人や心といった複雑性を基調とする世界においては、矛盾や首尾一貫性のなさ、理解不能といった疑問や不信について拙速な判断を下してしまうと、本人理解や意思の疎通、良好な信頼関係構築といったさまざまな可能性の排除や阻害へとつながってしまう。

 カウンセリングの場においては、相手本人が抱える精神的困難がどのようなものであろうと、正誤善悪という二項対立的な評価であったり、単純直線的な因果論といった尺度で向き合うことをほとんどしない。つまり法的あるいは倫理道徳的規範、社会一般常識や経験に基づく個人的信念といった、いわば「善き人のルール」に基づいた価値判断なり意見からいったん距離を置こうとする。たとえどんなに後ろ指さされるような行為言動であっても、まずは真摯に耳を傾け、相手の気持ちを尊重し、その精神状態や置かれた状況に立とうと辛抱強く努力をする。
 心身に深刻な変調をきたしてしまうほど、それぞれのそれぞれなりの事情がある。それは周囲には理解しがたく想像しがたいものであったり、社会的には容認できないものであったとしても、なぜそう考えるのか、そうなってしまうどれほどの事情があるのか、より細かな会話や言葉の意味を拾いあげながら一つひとつを考えていく。

 私たちは、状況や環境といったファクターに深く依存し強く影響されやすい。自分が慣れ親しんだり得意とする領域では良識を働かせ上手に振舞えるいっぽうで、別の分野領域においてはまったくの弱点を露呈しがちだ。ところ変われば、私たちの態度が豹変したり真逆に振れた振る舞いをしてしまうこともまれではない。人は、『総論賛成各論反対』『ダブルスタンダート』などお手のものである。
 たとえば、多様な対人関係のなか、良好な社会生活を送る能力は高い一方で、自分の家族関係という閉じた身内空間では暴君さながら傍若無人の振舞いをしてしまう人がいる。
 温厚で人なつこい性格、職場でも地域でも良好な人間関係を保ち、誰からも信頼されていたある会社役員女性は、実家に戻ると年老いた自分の母親を長年虐待していた。また私の知人の父親は、家族にとても優しくいつもニコニコ笑顔を絶やさずその知人を叱ることなどただの一度もなかった。ところがその父親が、他人家族や子どもに対してはしばしば度を越え厳しく、ほんの些細なことにこだわり正論を振りかざし相手を糾弾し烈火のごとく怒りをまき散らしたという。そんな父親を昔の自分は実はずっと恐れていたと知人は話してくれたことがある。あるいはまた、きわめて優秀で献身的と患者家族達に評判だったある大病院に勤務する医師は、一方で職場での執拗なパワハラ行為や交通法規を無視した無謀危険運転行為をたびたび繰り返した。
 いったいこうしたことはどのように受け止め考えたらよいのだろうか、私たちは幾度となくその現実をつきつけられる。

 自分という存在が現に考え感じたり行動するのは、常に現在(あるいは過去)置かれた状況や環境において、という但し書きがつくことを私たちはしばしば忘れる。他の環境に身を置けば、自分が何を考えどう行動するのかは実は誰にも自明ではないということを受け入れ、本人理解と共感を進めてゆかなければ、こころの問題の本当の解決にはつながってゆかない。
 自分が容認しがたいことを単純に悪なり誤りだとみなすことは、そうした人や考えを単純に排除することに直結してしまう。だが、排除では誰にもそうなる可能性のあった事情を背景とする複雑な心のひだをひも解き、問題を抱え助けを求める人々を支えてゆくことはできない。

人間のモチベーションはとても複雑なんだ。ほとんどの人間は、自分が起こす行動の本当の理由を知らない。

リー・チャイルド「アウトロー」 小林 宏明 訳 講談社


 次回触れる私が得た教訓の2つめは、人の「記憶」に関係するものである。今回を読んでいただいた後では、少なからずショッキングな告白になるかもしれないことをあらかじめお断りしたいと思う。

 


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