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【思惑】20代後半〜の人間関係に思うこと。

人生はタイミングの連続

Noteをはじめて3週間が経ちました。
思考が止まらない私にとって脳内で考えていることを文字にして書き出すと視覚的にも頭が整理されて、最近かなり調子が良くなりました。
思考が止まらない、リアルな場所でなかなか吐き出せない私にとってNoteはとても居心地が良いです。
記事を読んで下さってありがとうございます。
記事に共感のコメントをいただけると嬉しいです。
書いてよかったなと思えます。




今回は20代後半から30代にかけて感じる人間関係に思うことを綴ります。




見えない「格差」

私は付き合いが数十年続いている学生時代の友人が複数人います。
年々、会う度に実感するのが、各々の境遇によって話が噛み合わなくなること。
昔は漫画やアニメの話題だけで盛り上がれたが、社会人になった今は違う。久々に会うと近況報告がある。

恋愛・仕事・結婚・子ども・保険・病気・健康・お金・不幸

未婚・既婚、子どもの有無、経済状況も異なる。
管理職・正社員・派遣社員・無職で、考え方や会話内容が違う。
お互い触れないけど「格差」を感じるときがある。
この「格差」は避けようがないし、誰も悪くない。
もちろん会えば楽しいし、懐かしい気持ちが蘇る。
けれど、この見えない「格差」を感じてお互い疲弊することがあると思う。



人生のタイミング

ライフイベントのタイミングは皆んな違う。
タイミングに正解はない。それぞれのペースがある。
最近、仲が良かった友人の結婚や出産を心から祝えず絶縁してしまう話をよく耳にするようになりました。
なぜ絶縁を選択してしまうのか考えてみました。

・人生のタイミングが合わなかった。
・自分の境遇と切り離して考えられないから。
・自分の気持ちを優先できるから。

もし、恋人と別れたり離婚したタイミングで友人の結婚を心から祝えるか。
もし、仕事がうまくいっていないときに友人の昇進を祝えるか。
もし、流産したタイミングで友人の出産を祝えるか。


誰も悪くない。タイミングが違っただけ。
タイミングが違ったら心から祝えたはずなのに。


他人の幸せを祝えないのは酷いと言う子もいるけれど、私は一概にはそう思わない。
タイミングのせいでそうなってしまった。
絶縁は自分の気持ちを優先できる・自分の心を守ることができる勇気ある行動だと思う。
もちろん全ての絶縁を肯定するわけではない。
私はよほどのことがない限り、絶縁はできないと思う。
(私を散々悩ませた母とも絶縁できないと思う。)

しかし、自分の心を守る面ではとても強い行動だと思う。



タイミングが悪かったよね

私は性格上、自分の気持ちを優先できないので、疲弊することが多い。もし自分がどんなに辛い境遇でも、招待されたら結婚式に参加すると思う。
でも、誰も悪くないことさえ気づいていれば、自分の気持ちに対処できると思う。
たとえ心からお祝いできなくても、罪悪感なんて抱かなくていい。タイミングのせいなんだから。

今後、何かしらのライフイベントが発生し、万が一友人が離れていくことがあっても「タイミングが違ったんだな。」と思うことにする。自分が傷つく必要はない。
時間が経って、友人が謝ってきたらその時は「あの時はタイミングが悪かったよね。」って言葉を掛けようと思う。

自分達のせいじゃない。タイミングが悪かったんだ。
また縁があればどこかで繋がる。時間が解決してくれる。
そう思えば少しは生きやすくなるかもしれない。

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