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「幸せだと思えた瞬間」から考える、これからの人生

「四十にして惑わず」というけれども

40も後半にしてもなお、人生の選択に迷っている自分がいる。

これまで人並みに苦労もあったが、特に大きな不満もなく会社員として生きてきた。
だが、自分ではコントロールできない環境の変化をきっかけに「このままでいいのか」と思うようになる。

変えられないことに執着しても仕方がないので、何とか現状を打破しようと、3年かけて自分なりに行動してきた。
深くは語らないが、時に苦しんだり自分の無力を思い知らされたりもした。

そんな紆余曲折を経て、ふと「幸せだと思えた瞬間を思い出したら、そこから何か浮かぶのでは?」という考えに至る。

結婚や子どもの誕生は、確かに素晴らしい瞬間だった。
だが正直に言うと、どこかで現実的な責任感が先に立ち、純粋な喜びとは少し違っていたかもしれない。

河口湖のほとりでおにぎりを頬張った

私のその瞬間は、遠い昔の「一人旅」だった

私が忘れられない<それ>は、河口湖のほとりでバイクを降り、コンビニで買ったおにぎりを食べたあの瞬間だ。2007年のことだった。

ちょうどお盆の時期、ふと思い立って山口から山梨まで一人でバイクツーリングした。
本栖湖のキャンプ場に張ったテントをベースに富士五湖や箱根を巡ったが、その途中、河口湖で朝食をとろうとバイクを停めた。

腰を下ろし、爽やかな風が吹く静かな湖面を眺めながら、湖畔のローソンで買ったおにぎりを頬張る。
その瞬間、心の底から「生きててよかった!」と思ったのだ。

高価なツールは持っておらず、テントはヤフオクで買った9,000円のもの。バイクはといえば諸費用込み20万円そこそこの中古車で、旅行中の食事も大体コンビニ調達で質素だった。

かつては3人ほどの仲間でツーリングしていたが、いつしか距離ができ、ソロで走るようになっていた。

周囲から見たら「おっさんが一人さみしく貧乏旅行してる」ように見えただろう。
だが私は、これ以上ないくらいの幸せを感じていた。

あれから17年が経ったが、この瞬間を超えた記憶はない。

本栖湖のキャンプ場で2泊した

時を経て今は、心からの幸福を得ていない

つまり、私にとって幸せとは「自分の意志で、かつ一人で好きなことに没頭している」瞬間だったのだ。

誰にも縛られず、自力でたどり着いた富士五湖や箱根の景色は格別だった。スペシャルなディナーや高価なバイク、凝った道具が欲しいといった欲望はもともとない。

仲間がいたら自由気ままには動けず、わずらわさを感じていただろう。だから、ここで感じた幸福感は、他のどんな瞬間にも勝るものだった。

残念ながら、現状はその真逆にある。
当時よりサラリーは増えたものの、他人の評価やインセンティブに、自分の感情と行動をコントロールされる毎日。

ストレスは溜まる一方で、それを発散するため時間とお金を無意味に浪費している。
これでは確かに、心からの幸福は感じられないはずだ。

この気づきを得るまで3年かかったが、そもそも40後半にもなって自分の人生を考え直すのは、あまりにもスタートが遅い。

だがこのままでは、年老いてから「もっと○○すればよかった」と後悔してしまうのは確実だ。

一方で、今の環境にはそれなりに感謝もある。経済的には困窮しておらず、家族も健康だ。人によっては贅沢な悩みに見えるだろう。

それでも私は、もう一度自分に問いかける。「本当にこのままでいいのか?」と。

箱根峠にも足を延ばした

自分の意思で、やりたいことをやろう

これからは自分の意志で、一人でもやりたいことやろう。

常識に縛られることなく、自分の幸せを追求していく。その結果、成功しなくても、たとえ損をしてしまったとしても、最後に「やってよかった」と思えるように生きたい。

周囲からの評価はいらないし、出世もしなくていい。人よりお金がなくても、理解者がいなくても構わない。仮にそれらが手に入ったとしても、私に真の幸せはもたらさない。

結局、自分の人生は自分のものだ。誰かの期待や価値観に振り回される必要はない。
年齢を気にせず、自分自身にとって意味のある瞬間を、現状と折り合いをつけながら、一つひとつ積み重ねていくのだ。

そして振り返ったときに、心からこう言えるようになりたい。

「こんな人生も、悪くなかったな」と。

鳴沢村の温泉施設で見た夕焼けは綺麗だった

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