コント”は”書けるかも。
表題で誤解された方、申し訳ございません。
決してコントを書くことを甘く見ているというわけではありません。
noteを始めて数か月の人間には生意気な手法かもしれませんが、
私の初投稿である「漫才は書けない」のアンサー的なものを書かせていただきます。
当記事にて、私は漫才を書いてみたかったけれど書くことはできないということを書かせていただきました。
書けないと思うのは「誰と漫才するか」が決まっていないことが、自分の中で一番の要因でした。
漫才は「こういう人たちがこういう風に話すから面白い」というように、漫才師それぞれのキャラが主軸にあってこそ成立するものだと考えています。
例えば、陰湿な雰囲気を漂わす2人が静かに猛毒をぶつけ合う漫才はしっくりきて面白いと思いますし、一方でいかつい風貌の漢2人がキュートな話題で盛り上がるのは、ギャップでそれもまた面白くなると思います。
こんな風に"キャラありき"なのが漫才なのかなと考えます。
実際に漫才をしたことがないので憶測でしか言えませんが、「どんなキャラで」「どんな方向性で」漫才をしたいかをコンビ間でのすり合わせを経て、漫才は作られているのかなと思います。
すり合わせだけでなく、一緒に過ごすことで相方のキャラや魅力が自ずと分かってくる部分も大きいと思いますが。
一回も漫才を作ったことがない分際で、頭でっかちにそんなことばかりに思考を巡らせていました。
そんなうちに、最初は漫才”は”かけないと思っていたものが、いつしか”ネタ自体”を書けないものだと勝手に自分の中ですり替えてしまっていました。
でも、ある時ふと思いました。
コントなら書けるのでは?と
コントは漫才と違って、人ではなく脚本がベースとなります。
演劇と同じで、登場するキャラクターにコント師側が寄せていきます。分かりやすいところ、コント師は俳優なのです。
もちろん自作自演の場合は、自分が演じたいキャラクターを創り上げられるので、演じる人ベースに台本を書くことも可能だと思いますが。
現に、「漫才作家」がいないのに「コント作家」がいるというのは、そういうことなのかと考えます。
コントは相方がいなくても書くこと自体は可能であることが分かりました。
そんなわけで今、コントを書き進めています。
好きな設定で、好きな人数で。
物心ついた頃からお笑いのトリコなのでいつかネタを書いてみたいという気持ちはずっとありました。
でも芸人になるわけでもないのに、何のために書くのか意義を見出せないでいました。
そしていつしかその気持ちに蓋をして、「漫才はかけない」を書いた時には完全にその気持ちを封じてしまっていたと思います。
でもすごくシンプルに考えたら、
書きたいなら書けばいいじゃん。とそう思います。たかが趣味なんだし。
私はいつも動く前から頭でっかちに考えすぎてしまう癖があります。
必ずしも目的を持つ必要はない、ということを自分自身に刻むためにも、気楽な気持ちで今始めます。
でも自分の気持ちの解像度を上げていくと分かったことがあります。
どうやら純度100%の「好き」で気持ちが動いているというわけではなさそうです。
正直なところ、多少腕試ししてみたいという気持ちもあります。
これだけ情熱を注げる趣味なのだから、ワンチャン仕事に繋がるなんてことがもしかしたらのもしかしてありえるかもしれません。
自分が書いたネタを誰かがやってくれるなんて未来もゼロではないはずです。
あくまで趣味なので、まずは自分の書いてみたいスタイルで書きますが、こういう明るい未来を想像しながら作るのもいいななんて思いました。
絶対甘くないと思いますが。
書くと決めた今、とても心がワクワクしています。
自分で考えた「漫才は書けない」という表題が、伏線だったかのようにすら感じています。
noteを始めていなければ芽生えなかった感情です。人生出会いの連続と言いますが、どんな出会いがあるか分かりませんね。