メンターは要らない
この記事は
「伝え上手になるために必要な13のこと」シリーズ(⇣これ)番外編。
メンターとは。
「メンターを探してるんだー」とか「私のメンターはこの人!」と特定の人を師と仰ぐブームみたいのがある。ちなみにコトバンクでは
引用元:https://kotobank.jp/word/メンター-178863
とか書いてあってね、元々はそんなスピリチュアルな教祖的存在でもなければ、唯一無二の師というような崇高なものでもないわけ。
だけど今は、メンターという存在を見つける必要がある、メンターがいると成功できる!みたいな風潮があって
「メンターを見つけた!」「この人についていく!」
よく聞くんです。その度に思う。
やめておけばいいのにぃ。
なぜか?
メンターを求める、その心は「責任転嫁の準備万端」でしかないから。
必ずしも全ての人が、ではないけれどね。
正直、依存型でないにしろメンターを崇める精神は、往々にして「考えなくていい」という思考を産みがち。
既にメンターと思える人がいる、という人は、その人に何か頼るのは最後の手段、一番最後に助けを求める頼みの綱、だと思って^^
結論、メンターは自分自身。
これに尽きる。
自分を導けるのは自分だけ。
「自分に自信ないよ〜それでも自分を師と思えと?」
そうです。
どんなにヘナチョコでもね^^
よく考えてみてほしい。
師という存在がいたとして、それはどんな人物かな?
引用元:https://kokugoryokuup.com/shi-difference/
メンターは教え、導いてくれる。だとしたら
ヘナチョコな自分がメンターだった。
まだ腑に落ちない人へ
理由は3つで完結するよ。
(1)何をしてもダメな自分だと思ってたけど、その自分こそが、何がダメなのか、何が足りないのかを教えてくれていた。
(2)誰かの助言を求めてばかりの自分は「自分という芯がなくて情けない」と思ってたけど、その自分の行動こそが、誰かの助言を聞いてアイデア探しを手伝い導いてくれていた。
(3)メンターを探していた自分は、結局そのメンターになり得る人物をも成長に導く手伝いをしていた・そのメンター自身に気づきを与えていた。
誰もが、自分の人生という海原を航海中。
自分の旅には終わりがないと思ってほしい。
完成しなくていい、ということも伝えておきたい。
よそにメンターなんぞいなくたって、自分自身という最高に面白くて頼りになるメンターが存在する、ということを、今回の番外編ではお伝えしたわけだけど
自分の人生を笑えるか?
この笑いは「笑いものにする」というような意味ではない。
誰かに「自慢話として場を沸かせるネタ」というような誇らしい笑い。
これについては「伝え上手になるために必要な13のこと」で改めて書いたので読んでみて^^
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