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何度でもコケろ。いくつになっても。

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「伝え上手になるために必要な13のこと」シリーズです(⇣これ)

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いくつになったら、完成するのか?という概念を捨てる

そもそも、数字の魔力に惑わされすぎということ。

いくつ、いつ、なんて忘れてしまおう。

学生と呼ばれる間は、分かりやすく指標として何年生とか、何歳とか、成績表とかいう数字で定めた基準をもとにカテゴライズされて、自分の位置を確認するのに役立つかもしれない。

そういった指標に必要性を感じないほど、初めから感覚が飛び抜けている人間にとっては、学生時代から疎外感を感じ違和感を覚えるであろう「数字」。

社会に出たら、万人共通で、真っ先に捨ててもいいものが数字によるカテゴライズだろう。

数字はお金同様とっても便利だし、今の社会ではなくてはならないもの。

だけど、ひとたびそれに慣れすぎて依存すると

人は正常な判断:自分の感覚によるモノサシ

これを失い、自己確立がままならなくなり、自己信頼ロスに陥る。

だから本来、その感覚を惑わせる義務教育や社会のあり方には疑問を持った方が、人生に迷わずに済むとも言える。

お伝えにおいてデータやエビデンスを提示することに執着しすぎないためにも大事な視点だから、自分が数字や経歴のようなものでフィルターをかける癖がないか見直してほしい。

大器晩成(ばんせい)は、ウソ。大器免成(めんせい)が、ホント。

大人になる過程で、社会に暮らす以上どうしても身についてしまう勝手な固定概念というものは膨大にあって、その一つ一つの是非をチェックするのは並大抵なことじゃない。

それでも、機会が巡ってくるごとに確認することを諦めないでほしい。

数字についてもそうだし、

例として「大器晩成」ということわざを挙げる。

「あの人は大器晩成で、後年になって花開いたね」

なんて使ったりするんだけど、これ、もう一つの解釈があるって知ってた?それは、もう文字からして歴史の中で捻じ曲げられたと言われていて、本来は

「大器免成だから安心しなよ」

と使う。どういう意味か、新しく覚えてほしい。

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