自己犠牲は不幸の元。搾取から身を守るために知っておいてほしいこと 通読目安:5分
自分を犠牲にして人を喜ばせても幸せになれない、もっと自分を大切に、というお話です。
自己肯定感が引く人とか、いわゆるいい人って、自分が我慢すればいい、みたいになることが多いと思います。
たとえば、話し合いをしてて、納得いかないのに、自分が我慢すればいいと考えて、不満を抑えてしまったり、理不尽なこと言われても、ここで反論したら波風が立つから・・・とか考えて、堪えてしまう。
これ、辛いだけで、いいことありません。
せっかく我慢しても、相手はあなたに、我慢してくれたとは思ってくれません。もしそう思ってくれる人なら、後で何かしらフォローをしてくれると思いますが、そうでなければ、自分の意見が通った、何も言わないってことは納得したと受け取ります。
もしくは、この人は自分の意見がない人なんだなと思われるか。
もちろん、いろいろな状況があるので、今は確かに、納得いかないけど我慢したほうがいいってこともあります。
でもそれは、我慢することで、次に繋がる何かがある場合だけ。
今日を耐えて、明日戦う、みたいな。
今戦ったら不利だから、今は我慢して、次に備える。
それがないのに我慢したら、ただシンドイだけです。
別に、反発して自分の意見を押し通せ、と言ってるわけではなく、自分の意見は意見として、こう思います、ぐらいは言ったほうがいいということです。
でもね、与えることで幸せになれる、みたいなのあるじゃないですか。
与えれば自分に返ってくるみたいな。
確かに、それはそうだと思います。
でもこれ、与えるのが正しい、そうすべきだって単純に思ってしまうと、搾取されるだけになります。
ほんとは嫌なのに我慢して、相手が欲してるものを提供したり、頼まれごとを何でも引き受けてみたり、自分を犠牲にして、相手の要求に応える。
そうすれば、いずれ返ってくる・・・と。
でも、自分を犠牲にして与える人は、摂取されるだけで返ってきません。
そういう人は、人を都合よく使おうとするような、ろくでもない人間に重宝されるので。
で、そういう人間は、してもらったから返そうとか考えないので、搾取されるだけになってしまう。
そんなことが続けば、疲れますし、無理がきますよね。
そこで、ちょっと今は・・・と断ると、なんだよ、じゃあいいよ、みたいに言われてしまう。
簡単に言えば、ナメられてるわけです。
だから、自分が我慢すればスムーズにいくとからといって、自分を犠牲にするようなことは止めましょう。
頼まれごとを引き受けるのはいいです。でも、相手は見るべきだし、自分のキャパと相談しながら、内容をよく確認してから引き受けたほうがいいです。自分が辛い思いすることになっちゃいますからね。
これについて、アダム・グラントという人が、Give and Take 与える人こそ成功するという本で説明してくれてます。
人間には、ギバー、テイカー、マッチャーという、三つのタイプがいる。
ギバーは与える人、テイカーは受け取る人、マッチャーは帳尻合わせをする人。
この中で、一番幸福度が高いのはギバーなんですが、なんとギバーには二種類います。
一つが、自分を犠牲にしてでも与えてしまう自己犠牲型。
もう一つが、相手によって対応、関わりを変える、他者志向型。
幸福度が高いには、わかりますね?
他者志向型のギバーです。
自己犠牲型は、搾取されるだけで疲弊し、なんにも良いことが返ってこない。
自己犠牲は止めましょう。
シンドイだけで何のリターンもないなんて、バカバカしいですからね。
幸せを感じたいなら、もっと自分を大切にしないと。
自分を大切にする気持ちがあるなら、自己犠牲なんてさせない、させたくないですよね?
それでいいんです。
何か頼まれて、断ったら相手に悪い、みたいに感じることもあるかもしれないけど、まともな人なら、了解っていって普通に引き下がります。
ブツブツ言わない。
そこでブツブツいうのは、搾取しようとしてる人です。
そんな人間とはできるだけ関わらず、関わらざるを得ないとしても、何でもかんでも受けてしまったら、都合よく使われてしまうだけになってしまうので。
もし、自己犠牲の傾向あるなと思った人は、もう今この瞬間に、自己犠牲はやめるって決めてしまってください。
そして、楽になってください。
自分の幸せのために。