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解説(大森望)

手にとって任意のページをめくって見ればわかるとおり、これはものすごい本である。
日本のインターネットの歴史について書かれた本としては間違いなく最高峰――と書くつもりでいたら、同時期に本書のゲラを読んでいたらしい竹熊健太郎氏が、いちはやく「日本のネット史としては、現時点で最高の文献であることには間違いない」と『たけくまメモ』に書いてました。先を越されてちょっと悔しいが、つまりだれが見ても最高だってこと。本書はゲラの段階からすでに古典の風格を備えている。インターネット日本史のインスタント・クラシック。
しかし、考えてみればそれも当然。本書の原型となったばるぼら氏作成のHTML文書「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史」(02年9月30日公開)は、発表直後からネット上にセンセーションを巻き起こし、日本の個人サイト史を書き残そうとする人々から、数限りなく参照・引用されてきた。というか、わたし自身もさんざんお世話になりました。
公開直後にアクセス解析経由でこのファイルを読みにいったときは、年表のわりと最初のほうに自分のサイトの開設日が載ってるのを発見して、光栄というか面映ゆいというか、歴史に名を残す気分を味わった。だらだらと長くサイトを続けててほんとによかった。お母さん、僕、教科書には載らなかったけど、「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史」に載ったよ!
ちなみにこのオリジナル版『歴史』のデータ量は、テキストのみで120キロバイト程度。これに詳細な解説や大量の注釈、キーパースン・インタビューなど膨大な書き下ろしテキストをつけ加え、10倍か20倍に増量した最強書籍バージョンが、本書『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』ってことになる。
届いたゲラの物量に腰を抜かし、とりあえずベッドに広げてぱらぱら拾い読みをはじめたら止まらなくなり、すべての仕事を放り出して最初から最後まで一気に熟読。いやもうめちゃくちゃ面白い。わたしが日本のインターネットについて知りたいと思うことはすべてこの本に書かれている。これさえあれば他になにもいりません。
もちろん、「教科書には載らない〜」と謳う以上、国の政策やビジネスや経済にまつわる退屈な話は出てこない。IIJもNTTもYAHOO!もライブドアもほぼ関係ない。じゃあいったいなにが書いてあるのかと言えば、個人の歴史である。
一瞬の輝きを放って消えていった懐かしき個人サイト群。固唾を呑んで見守ったこのバトル、傍目には最高の見世物だったあのトラブル。予想外のブームと珍妙な騒動。個人的にも思い出深い630事件や嬲リンク事件をはじめとする無数の事件の全貌と、無数の勇者たちの横顔が生き生きと語られる。JUNET、日記リンクス、warez、あやしいわーるど、あめぞう、テキストサイト、ブログ、FLASH職人たち。オマケとして、パソ通時代の話にも一章が割かれているけれど、そこでも主役は人間だ。
本書には、「インターネットの歴史は個人の歴史である」という強烈な主張がある。根本のところで正しく偏向していると言ってもいい。しかし、にもかかわらず、(僕自身が多少なりとも関わった騒動の記述から判断するかぎり)「勝手な思い込みで過去を捏造しない」というポリシーが貫かれている。著者自身がリアルタイムで見聞していない(と思われる)出来事に関しても、あらゆる事実関係を綿密に検討し、極力ニュートラルで公平な立場から、「いつ、どこで、だれが、なにをしたか」をきちんと的確に解説する。
そんなのあたりまえじゃないのと思うかもしれないが、これはそう簡単にできることじゃない。ほんの10年前の状況でさえ、いまのウェブ上にはほとんど記録が残っていない(インターネット・アーカイブで遡れるのはせいぜい96年以降で、95年以前は闇に包まれている)。ある出来事の前後関係の確認はもちろん、年表の日付一個を特定するだけでも、たいへんな努力が必要だったはず。よくもまあこんなにきっちり調べられたとつくづく感心する。
逆に、ここ数年の状況に関しては、情報が多すぎて整理するのがものすごく大変なんだけど、本書はそれについても、説得力があってわかりやすい歴史の〝流れ〞をつくることに成功している。
本書のもうひとつの特徴は、「どんな文化もゼロから築かれるわけではない」という認識が徹底していること。ブログの前にはテキストサイトがあり、その前にはウェブ日記があった。「2ちゃんねる」の前には「あめぞう」があり、その前にはパソコン通信がありfjがあった。
なにかがブームになったとたん、歴史から切り離して、「そんな昔のことは関係ないじゃん!」と過去を封印するタイプの言説がウェブ上には最近けっこう多いんだけど、著者は可能なかぎり誠実にネット文化の起源をたどってゆく。言葉ひとつとっても、きちんと語源をつきとめる手間を惜しんでいない。
しかも、個人個人を軸に据えることで、無味乾燥な事実の羅列に陥らず、スリリングなネット英雄列伝としても、個人サイト興亡史としても読むことができる。わたしは今世紀に入ってからのインターネット動向をあんまり真面目にフォローしていないので、まったく知らない話が山ほど出てくるが、それでも退屈することは全然ない。たまに知ってる話が出てくると、ああ、そんなことがあったなあと昔を思い出して遠い目になってしまう。なにもかもみな懐しい……。
思い出しついでにちょっと昔話をしよう。「貴方の『インターネットが一番楽しかった頃』はいつですか?」というのは、HTML版『歴史』の冒頭に書かれていた質問だけれど、大森の場合、答えは1995年。
この年の2月、リムネットに加入し、はじめて自宅からウェブが見られるようになった。マシンはマッキントッシュLC475、モデムは9600bps、もちろんダイヤルアップIP接続。自前のホームページを立ち上げたのは、奇しくもちょうど10年前の今日、95年3月31日。最初に公開したページはテキスト三行だけだったが、サルのようにコンテンツを増強し、一週間後にはなんとなく日記を書きはじめる。5月に津田日記リンクスを発見し、ウェブ日記にハマりまくる日々が到来。しじゅう日記者(=ウェブ日記を書いてる人)のオフ会があり、夜はircの「#にっき」チャンネルに入り浸り、9月にはSecond Summer of Webのイベントに参加。年甲斐もなく興奮して、「WWWは人類史上最強のパーソナルメディアである」みたいなハイテンション原稿をあちこちにぶっ書いてました。もともとハマり症とはいえ、こんなに短期間でこんなにどっぷりハマったのは珍しい(NIFTY-Serveの深夜チャットにハマって毎月五万円の課金を払ってたとき以来か)。
95年の春は、リムネットとベッコアメの会員数がそれぞれ一万人ぐらい。日本語の個人サイトはたぶん数百のオーダーだった。「世界に向けて情報発信」とか言いつつ、実際にウェブを見てる人の数はいまのSNSよりはるかに少なかったのに、勃興期の熱い高揚が個人サイト管理者たちを支配していた。なんとなく、時代を切り開いてるような錯覚に動かされていたのかもしれない。
……といっても、べつに年寄りの昔話を特権的に語りたいわけじゃなく、似たような高揚の時期は、JUNETにも、NIFTY-Serveにも、タイガーマウンテンにも、「はてな」にも、blogブームにもあったはず。たとえばカフェスタやぱどタウンではじめてネットに触れた小中学生だって、「世の中にこんな面白いものがあったのか!」っていう盛り上がりを感じたことだろう。
わたしの場合、96年以降はしだいにインターネット熱が醒め、だらだらと(ときたま思い出したように)ウェブ日記を更新するだけになっちゃったんですが、去年、ひさしぶりにハマったのがSNSのmixi。おお、なんだかこれって昔の日記リンクスみたい。ああ、NIFTY-ServeのPATIOとかもこんな感じだったっけ……と懐かしさに浸り、今もmixiしながらこの原稿を書いている。ばるぼら氏も本書で書いているとおり、けだし「歴史はくり返す」のである。結局、人間がやることはいつの時代もたいして変わりません。
しかし、歴史を知っていれば先人と同じような失敗を避けることはできるかもしれないし、「××を発明したのはオレたちだ!」的なウッカリ発言で足もとをすくわれる心配もない。逆に、半ば現役を引退した気分になりかけていたオレみたいな人間にとっては、本書を読むことで、かつての情熱のいくぶんかが甦ってきた気がする。
そういう〝オレの10年間〞も含めて、〝人類史上最強のパーソナルメディア〞のこれまでの歴史は、この一冊に凝縮されている。そして、また新しい歴史がここからスタートする。本書のおかげで、「インターネットのこれから」にもうちょっと真面目につきあってみようかという気になってきた。まさに歴史的名著である。

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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追…

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