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『MINI SKIRT』再考

『MINI SKIRT』最高、と書きそうになったがそれでも構わない。カジヒデキ『MINI SKIRT』の良さは1997年とは思えないポップミュージックの塊として最初に聴いた時の好印象が忘れがたく、何度も聴いてるけど今年初めて聴くついでに文章も書いておこう!という記事です。

ブリッジ解散以後

まずそれまで在籍したバンド=ブリッジが、1995年7月に解散します。本当は6月24日のクロコダイルでのライブが最後だったところが(23日に下北沢スリッツ)、大阪のライブ予定が入ったため、7月29日の大阪クラブクアトロを最後に活動終了となりました。メンバーはそれぞれ別々に活動を続けます。7月26日にリリースされたベスト盤『The Beest Of Trattoria Years』(PSCR-5388)が解散前のメンバー監修仕事の最後のようです。

ベーシストだった加地秀基はどうしたか?というと、ひとまず音楽活動を続けていく選択はしたようです。ソロでいくかバンドでいくか女性ヴォーカルを立てたユニットでいくか、形式は定まらなかったようですが、おそらく、もうこの時点で、次に進むべき音楽ジャンル自体はぼんやり見えていたのではないでしょうか。

というのは、トラットリアからコンピレーションアルバム『トラットリア・カレンダーOST~ワールド・シャインズ・ブライトリー~』(PSCR-5340)が1994年12月19日に出ていたからです。本コンピはブリッジのプロデュース作品で、実質的に加地秀基が監修しており、世界各地のミュージシャンから楽曲を提供してもらい、その間のジングル的な曲をブリッジのメンバーがそれぞれ作っているものですが、ここにすでにEGGSTONEやRAY WONDERやCLOUDBERRY JAMといったスウェーデンのミュージシャンを収録しているのでした。

ソフトロックとパワーポップが混じったような、60年代と80年代が絶妙にミックスされた、ギターを使ったポップミュージック。ネオアコ的な感性を現代に鳴らす方法を、英米とは違う地域から出てきたミュージシャン達がすでに行っていたのです。いわゆるスウェディッシュ・ポップ。ここに自分の今後の道筋を見たのではないでしょうか?

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