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雑談:2番目のLSD×音楽にまつわるニューディスカバリー
LSDについて
LSDは1943年4月16日に化学者アルバート・ホフマンが偶然発見した幻覚剤です。合成の実験中にできたLSDが指についていて、それを舐めてしまい、その後幻覚が見え始め、新しい何かを体験してしまった、という話です。この作用に驚いたホフマンは研究を続け、一時は軍事用自白剤などの実験にも用いられましたが、結局、有用性は認められませんでした。
時は流れ1960年代初頭。様々な文脈で幻覚剤を体験した人たちが出会います。アメリカで過ごしていたイギリス人作家オルダス・ハクスリー、イギリスの幻覚剤研究者マイケル・ホリングスヘッド、ハーバード大学でドラッグによる精神拡大に興味を持っていた心理学者ティモシー・リアリー……。経緯は省略しますが、彼らは新しい幻覚剤としてLSDにたどり着きます。
LSDがすごいらしいと少しずつ広まっていたところに、オーガスタス・オーズリー・スタンリー三世という弁護士の息子が、1965年にサンフランシスコにLSD工場を設立。同年3月30日に最初の出荷を行って以降、質の高いLSDを提供してくれると一気に有名になります。ケン・ジーとメリー・プランクスターズのLSD体験イベント「アシッド・テスト」にLSDを供給したのは彼。1967年に3万人集めたフラワームーブメントの象徴的イベント「ヒューマン・ビーイン」にLSDを提供したのも彼。ビートルズにLSDを提供したのも彼。グレイトフル・デッドにLSDを提供したのも彼。と言われています(ほんまかいな?)。LSDは金になる!質の高いLSDを作れば独占できる!と考えたっぽいスタンリー三世の存在によって、西海岸はヒッピー・ムーブメントの聖地となった……といっても過言ではありません。本人が語るところによれば計500万回分以上のLSDを出荷したとのことです。
ちなみにLSDは当初合法でした。調べてみるとこんな感じみたいです。
・1966年10月6日、アメリカ(カリフォルニア州とニューヨーク州)でLSDが非合法化
・1966年10月6日、イギリスでLSDが非合法化
・1970年6月1日、日本でLSDが非合法化
最初のLSD×音楽
これ以上の細かい話は歴史書を参照していただき、本題に入りましょう。LSDを使った音楽、LSDを扱った音楽についてです。これまで「誰がLSDを服用しながら最初に曲を書いたのか&レコードを出したのか」は議論の的でした。いや、嘘です。最初に作られたレコードはもうわかっているのです。アラン・ワッツが1962年に出したレコード『This is It』です。
アラン・ワッツは1915年英国生まれ。子供の頃から東洋文化に魅せられており、1936年に鈴木大拙と出会って禅への関心を高め、禅の入門書を何冊も出しています。1938年に米国に移住、1951年にサンフランシスコに移り、1958年に最初のLSD体験をしました。ヒッピーらに見られる禅/東洋哲学/神秘体験への傾倒は、アラン・ワッツの著書や講演の影響が小さくありません。
で、このレコードは、LSDを体験した参加者らによる即興演奏で、フリーフォームなサイケデリック・ミュージックとなっています。LSDがカウンターカルチャーの文脈で注目されるのは1965年以降ですから、異様にリリースが早いです。これを超えるLSDレコードの存在はまずありえません。
2番目のLSD×音楽
で、問題は2番目のLSD×音楽です。これがなかなか判明しません。まずは色々とご紹介しましょう。
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