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『Ultimate Breaks & Beats』が日本に輸入されたのはいつなのか
いや、そんなに謎でもないんですけどね。
ヒップホップ関係をちょっとでも調べたことがあれば、必ず出会うであろうコンピシリーズが『Ultimate Breaks & Beats』です。1986年から1990年にかけてStreet Beat Recordsよりリリースされた25枚のコンピレーション。古今東西のブレイクのある楽曲(レアグルーヴ)を収録&勝手に編集した、著作権的に問題がありそうなシリーズゆえ、普通のお店にはほとんど並ばなかったものの、レア盤に収録されてるあの曲が手軽に聴ける・DJで使える・サンプリングできるというお得盤で、一時期はヒップホップ系のDJのマストアイテムでした。
このアルバムの歴史については海外に記事がありますので、それを読んでいただければいいと思いますが、箇条書するとこんな感じ。
・首謀者はレニー・ロバーツ(Lenny Roberts)とスタンリー・プラッツァー(Stanley Platzer)の二人
・レニーはブロンクスに住み、運転手をしながらレコードディーラーをやっていた
・レニーは80年代初頭まで、DJ向けの非合法な海賊盤シリーズ「Octopus Breaks」を出していた。「Octopus Breaks」は1983~84年頃にはもう誰も欲しがっていなかったが、Run DMCのブレイクでまた欲しがる人が増え始めていた。レコード店で働いていたスタンリーは店に来たレニーに「まだOctopus Breaksが余ったらくれ」と依頼
・そこで「Octopus Breaks」収録曲のライセンスを正式にとってリブランディングしたシリーズが「Ultimate Breaks & Beats」。そのため初期は収録曲がかぶってる
・当時はまだサンプリング問題が起きてなかったため、レコード収録のためのライセンスを取るのはただ申請すればよかった。事前確認による承認を得る必要がなかった。牧歌的な時代
・スタンリーはタイムズスクエアのレコード屋「Music Factory」で働いており、客に聞かれるレコードをメモってリストにしていた。そのリストをレニーと共有。レニーはスタンリーをブレイクのコレクターとして認めていた
……
話を戻します。ヒップホップの歴史を変えてしまったこのシリーズが、どうやって日本に入ってきたんだろ、というのに昔興味があって、調べていくと、色々と分かった点と疑問点が出てきました。今回はそれについて書いていきましょう。
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