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「おたくの研究」再考
今更「おたくの研究」の話なんて、2000年頃ならまだしも、2020年代のインターネットにはありふれてしまって、新規性のある話を書くのが難しいネタですが、これまで誰も言及したことがない話があるのを思い出したから書く……。まあ大したことはないのですけど。敬称略。
前提・簡単なおさらい
「おたく」と呼び合う人々がまず一定数いて、その呼び方を象徴と見て、ある種の人々に対する総称を「おたく」と命名しました。命名者は中森明夫。舞台は『漫画ブリッコ』1983年6月号です。白夜書房から出ていたエロマンガ誌。
『漫画ブリッコ』にはミニコミ『東京おとなクラブ』の出張ページ「東京おとなクラブJr.」が載っていて、同ミニコミの関係者がコラムを執筆していました。中森明夫はこの「東京おとなクラブJr.」内で「おたくの研究」というコラムを連載し、それが「おたく」という用語の始まりとなります。
補足・「おたく」と呼び会う人々はそもそも誰だったのか
「おたく」と呼び合う人々が先に一定数いなければ、それを特徴と思った中森明夫が「おたく」と命名することができません。じゃあ一体「おたく」という用語が生まれる以前の「おたく」達は誰だったんでしょうか?
マクロスで広まったよ説
岡田斗司夫がかつて『オタク学入門』(1996-05-30、太田出版)でこう書いたことで、原始おたく探しがおたく分野のトピックとなりました。
「オタク」という言葉を使い始めたのは、慶応大学幼稚舎出身のおぼっちゃまたち、というのが一応の定説だ。彼らは熱烈なSFファンで、その中の何人かは「スタジオぬえ」というオタク系アニメ企画会社に就職し、オタク受けNo.1アニメ『超時空要塞マクロス』を作って大ヒットをとばした。
時に西暦1982年。彼らはまさに全オタク、憧れの存在だった。
その彼らが、SF大会などファンの前でオタクと呼び合っているのだから、他のオタクたちが真似ないはずはない。
おまけに彼らは、自分たちのアニメ『マクロス』で登場人物にも「お宅」と呼び合わせている。
「お宅、今ヒマ?」
というのがヒロイン・ミンメイが主人公・ヒカルを誘うお言葉だ。
お嬢さんお坊っちゃんタイプで、今までの努力根性熱血貧乏タイプのヒーローとは大きくかけ離れている二人が「お宅」と呼び合っているのはなかなか象徴的だ。
スタジオぬえのオタクたち・及びその作品「マクロス」がきっかけで「オタク」という呼び方はあっという間にオタクたちの間で広がった。コミケと呼ばれる同人誌即売会にくるような、初心者のファンたちまで「オタク」「オタク」と呼び合うようになった。同時に、自然発生的に「オタク」と呼び合う人々を「あいつら、オタクだから」と十把一絡げに差別する言い方も生まれた。
おたくと呼び合うのが流行ったのはマクロスから。それを見たアニメファンらが使い始めて広まった、という話です。マクロスを作ったSF企画会社「スタジオぬえ」が重要なのか、ふむふむ、と。
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