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昭和57年秋、初めて生で見たプロレス…新日本プロレス東戸塚駅前広場大会の光景と死んだ親父の追憶
※プロ格連載2019年2月1日掲載分を加筆修正しました。当時の感覚のまま文中の敬称はすべて省略します。選手名やシリーズ名などにも間違いがある可能性はありますが、あえて記憶に忠実に書き記します。
■先日。古本屋で立ち読みしていると、この本がたまたま目に入り即購入した。
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初代タイガーマスクが初登場したのはオレが小学5年生のとき。この本を読み進めていくにしたがい、あのころの思い出が次から次へと脳裏に蘇ってくる。その衝撃デビューがテレビ放映された翌日。学校ではクラスの男の子たち全員がタイガーマスクの話題で持ちきりだった。誰もがテレビでプロレスを見ていた時代。新日本ならアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳、キラー・カーン、木村健吾。全日本ならジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、タイガー戸口……あまりプロレスに詳しくない子供でも、プロレスラーの名前ならそのくらいは普通に知っていた時代。
学校でも「プロレスラーになりたい」というガキがクラスに1人か2人は必ずいたし、オレとその仲間なんてプロレスごっこをすれば「ロープにかけた手をレフェリーが蹴る」なんていう、いまではマニアにしかよくわからない本来のルールをマネしていたほど、プロレスはメジャーなジャンルだった。
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