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日記物語:後編

店員との心理戦で完敗を喫し、自爆した仕事着(スーツ)の購入。

出来る事なら、このまま裾上げの時間まで店の駐車場で呆けていたかった。心ゆくまで精神の回復を図りたい気持ちがあった。


しかし、後の予定を考えれば、そうする事も出来ず、そのまま食材の買い出しに向う事とした。

既に実家を出発してから一時間が経過しようとしていたので、昼食まで時間に余裕はなかったのだ。

父と我が子の昼食は、父が寄合で貰って来た弁当があると聞いていたので、作る必要があるのは自分と母の昼食。

そして、本日の4人分の夕食に対する食材の調達が必要だった。

前編はこちら 日記物語:前編|ぶーちゃんと野菜と2号

昼食当番と夕食の仕込み

普段通い慣れている近隣のスーパーは、売り出しの影響で駐車場に止めるのも困難な状況。

そこで、少し離れた別のスーパーで購入して実家に戻る。


帰宅時には時計も12時を少し回っていたと思う。

米は、出発前に炊飯を開始していたので、当然炊きあがっているし、父と子は弁当なので、準備の必要すらない。

自分と母の昼食として、余っていた材料で炒飯を作り、同時に夕食用にカレーの仕込みを開始する。昼食と同時に進めることで、多少なりとも時短になるし、カレーであればその方が味もなじむという算段である。


時間効率を考えながら、この日用意したのは、インドネシアの某島名がついたカレー。

そのカレーにほんの僅か手を加えて調理する事に決めていた。

余談であるが、インドネシアに出張する事のある自分としては、彼の地でそれらしきカレーを見た事はない。

僅かに加える手間は、玉ねぎのみじん切りを2個炒め、トマトジュースをワンカップ足すだけの内容。そして、カレー用として売っていた豚こまを一般的な分量の倍近く入れる。それだけで、自分の好みに近い味になる気がする。気がするだけかもしれないので他者にすすめるつもりはないと言っておく。


ちなみに、母は認知症と診断されるまで、カレーにソースをかけて食べる人だった。

実家でカレーを食べる際には、自分以外にもソースを掛けるか問いかけるので、以前は食卓を囲む子や孫が、お断りするのも恒例となっていた。

『掛けると美味しいんだよ』と恥ずかしそうに笑いながら、孫に語る表情が思い出される。

しかし、最近はカレーを食べる時にソースをかける姿を見る事が無くなったし聞かれる事もない。

そんな変化すら少し寂しく感じるのは不思議な事だと思う。


換気扇を修理せよ

昼食を済ませ、カレーの仕込みと並行して、父からの依頼を進める事にする。


まずは、換気扇のシャッター(外部の開閉する部分)修理に着手。

外から確認すれば、確かに3つあるシャッターの一つが半開きの状態となっている。動作確認では、室内からスイッチに繋がる紐を何度引っ張っても、同じ位置で止まってしまう。

父は、修理が面倒なら買い替えるというが、年々収入が落ちる家庭にそんな無駄な出費はさせたくない。

そもそも手入れをまともにしていないのは、周知の事なので、まずは派手にこびりついた油汚れを除去して、再度動作確認をする。しかし、それでは対応としてハズレだった。


諦めて換気扇本体を取り外すと、装着時には見えなかった構造と動作不良の原因が直ぐに確認できた。

真ん中のシャッターを動作させるためのパーツが外れている。
恐らく、油汚れで動きが鈍くなっている状態で、強引に紐を引いたので外れたのだ。


幸いな事にどの部品も破損は無く、全体にこびりついた油汚れの除去をおこない再組立てするだけで、それまでとは比べ物にならない程スムーズにシャッターが開閉するようになった。

ついでに、数年前から無くなっていた紐の摘まみを木材で加工して取付け、キッチンのダクトに戻せば、依頼の一件目は落着である。

引き戸の隙間を塞げ

換気扇の対応を終えると、時間を空けずにもう一件の依頼に取り掛かる。それは、キッチンから勝手口に続く引き戸に出来た隙間を塞ぐこと。


父と母が住む母屋は、築150年近くになり、何度も改装を重ねてきた。現在では修復が難しい箇所も多く、今は両親が住む残りの期間だけでも倒壊せずに持ちこたえてくれれば十分という思いで使用されている。

しかし、冬場の隙間風は老体には堪えるうえ、燃料効率が限りなく悪くなる。

その隙間自体も家の傾きによって発生した物で、過去には他の場所を幾度も保全した記憶がある。この10年程は、その殆どが自分の仕事で、歪んだ壁を張り替え壁紙を貼ったり、開けることの出来なくなった扉を電動カンナで削るなどの力技がほとんだ。


今回の依頼も、柱の歪みが原因であるため、根本的な補修は難しいので、割り切って、補修する上で絶対に必要な要件だけをヒアリングし、強引に進める事にした。

要件は、隙間風を無くす事。

現状では、引き戸が閉じた状態で、上部に約5cm、下部に3cmの隙間が出来る。そこで、その寸法に合わせて、戸の長さと同サイズに加工した木材を取り付けることにした。


寸法さえ決まれば、後は丸ノコでカットするだけで、資材の加工はあっという間に終了する。作業小屋で適当な資材を見繕い、カットして枠にビスで固定するだけの作業。

30分足らずで何事もなくこちらの補修も完了だ。

加工後は、隙間がきっちりと閉じられている事も確認し、依頼主である父に報告して作業を終えた。


夕方の出来事

実家には、敷地内に柿の木がある。
昔は7~8本あったが、渋柿や邪魔になった物を伐採した今も残っている物は4本。

それでも、秋になると食べきれない程の実をつける。


この日、父から依頼された修繕を終え、自身の遊びの後、久しぶりに柿の収穫をした。

しかし、適当な道具が見当たらず、手の届く範囲の柿を収穫するためには、納屋の屋根に乗って柿をもがねばならない。

梯子を用意して屋根に上る。


子供の頃は毎年のように登っていた場所。久しぶりの眺めは、この年になっても変わらず、不思議と心和む気がした。

それは、何故かこの日の出来事の中で最も心が落ち着く時間となった。

母とカレーと食卓で

父の依頼を終えたタイミングで小さな出来事があった。

仕込んでいるカレーは、高齢者も食べる事を意識して多少の気遣いをしていた。大量に入れた肉が柔らかくなるまでは煮込みたいと、換気扇、引き戸の修理をしている合間も時々様子を見ながら、火に掛けたままとしていたのだ。


ところがである。
修理に使った工具の片付けを終え、キッチンに戻ると母が何やら食している。何を食べているのかと問うと、カレールーをまだ二片しか入れていない鍋を指さし、『美味しかったよ』とお褒めの言葉も頂いた。

見かけた時は、味見というには多すぎる量を食べ終えるところだった。しかし、彼女の使用した容器に残るカレーの跡が、取り分けた量を知らせてくれていた。

食べたこと自体は気にしないが、作りかけという事を理解して食べているのかが気になり、不安にもなった。認知症故の行為であるかが判断できないからだ。

それでも、彼女が気にしても嫌なので確認する事はしない。


自分は医者ではないので、認知症の進行具合を測る事は出来ないが、今のところ、毎週実家に顔を出している私や息子の事を忘れる事は無い。また、兄弟や孫たちの名前も覚えていて、それらに関わる発言にも然程不安はない。

ただ、20年近く前に亡くなった、父の母(私の祖母)が未だに存命だと考えるようになった事、口数がかなり減った事と体のあちこちが不自由になって来た事は否めない。


出来事から数時間後、仕込んでいたカレーを食べる時間になった。

自分と息子は、基本的に夕食を食べるとそのまま帰宅するので、支度を済ませ、カレーを取り分けるための準備をしていた。

皆がテーブルに着くと、まずは父に渡し、その後に母。

そのまま、息子の皿を用意しようと背中を向けた際に、後ろで冷蔵庫を開ける音が聞こえた気がした。


息子にカレーを提供した後で、自分の皿を用意していると、今度は何やら母が息子に話しかけているのが聞こえてくる。

そして、自分が振り返って席に着いたその時、思いがけない光景を目にした。


『ソース掛けるかい?』

そこには、冷蔵庫の前でソースを持って、そう問いかける母と全力でお断りを入れる息子の姿があった。

ほんの数秒の出来事だったが、自分には時間が遡り、健康だった頃の母の姿でいるように感じられる懐かしい遣り取りがそこにあった。

おしまい


あとがき

今回、はじめて前後編に分けた投稿となりました。

当然、最初から構想していた訳でもなく、なんなら文体や構成もいつも通りノープランの行き当たりばったり。

それでも、気が付けば2号の投稿(他のブログも含め)としては、初めて物語調の文章になっていたのでびっくりです。駄文である事は自覚していますが、出来事を記載しただけの文章は、大きく変える場所もあろうはずがなくそのまま公開です。

日が昇り、落ちるまでの"ある日曜日"を『日記』として、そのまま書き連ねただけ。

自分の言葉で書くのが恥ずかくて『物語』のような文章になったのかなと自己分析していますが、次回があるかどうかはわかりません(悩む必要がない分、書きやすかったですけどねw)。

ご覧いただき有難う御座いました。

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