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日記物語:前編

先週まで、毛布一枚で事足りていた寝具も、掛け布団が必要になる程まで気温が下がって来た。

それは、この部屋の構造的な事を考えれば当然と言えるかもしれない。

天井を見上げれば漆喰塗の屋根裏。
屋根の構造材に内部から石膏ボードを貼り、漆喰を塗っただけの構造なので、断熱効果は期待できないのだ。


頬に触れる冷気と薄明りで目が覚め、同時に近くで寝る子供が布団をはいでいないか気になって目を向ける。自分の知る人間の中で、最も寝相の悪い人物が彼だからだ。

しかし、就寝時の位置とは随分と異なる場所と姿勢ではあるものの、毛布と布団はかろうじて掛かっていたので、正確な時間を確認しようとスマホを手に取り画面を確認する。

まだ日の出前の5時半。


前日は、仕事関係で倉庫の片づけに駆り出されて肉体労働をしていた。

若くない体のあちこちから、油の足りない古い機械のようにきしむ音が、聞こえないのが不思議なほど疲労を感じる。

手にしたスマホには、いくつかの通知があった。内容を確認し、その後、習慣付いた操作をしている途中で、瞼が重くなるのを感じ再び意識が薄れていった。

早朝の出来事

年代物の軽トラックが納屋に停車すると、荷台にはこの朝収穫した少量の野菜が積まれているのが見える。

父と母が本日の収穫を終えて戻って来たのだ。

軽く挨拶を交わす際に、出荷作業は昼前に少し行えば間に合いそうである事、またその際に手伝いは不要だと告げられた。


そこで、子供が布団から出る時間前には、暖房を使えるようにしようと、ファンヒーターを離れの2階から降ろし清掃をする事にした。

清掃と言っても、コンプレッサーに溜めた圧縮空気を吹きつければ、大概の埃は吹き飛ぶので清掃作業自体は、容易に終える事ができる。


ところが、いざ灯油を足そうとすれば実家のポリタンクは空の状態。

仕方なくポリタンクを自分の車に乗せ、8時前でも営業しているガソリンスタンドへと灯油の調達に向かった。


実家に戻り、離れの寝室に暖房をセットした後、『作業小屋』と妻に呼ばれる一階のスペースで、工具と素材を手に取っていた。


扱いなれた木工ではない。

今はまだ、用途は明らかに出来ないが、透明な「ポリ塩化ビニル」(塩ビ板)を適当な大きさに切り分け、ヒートガンで温めながら治具にセットして半球のパーツを製作する。

その後、「ポリスチレン樹脂」製の断熱材(スタイロフォーム)をカッターとデザインナイフを使い分けながら加工していく。


完成までには、まだ数日の作業が掛かる見込みで、ともすれば途中で断念せざるを得ない事態となるかもしれない。

まぁいい。
それも承知の上で手を付けた加工なのだ。



これらの加工は、先週から開始した。
自身の製作においては、工期の見積もりが甘いことも多いので、今回は余裕をもって期間を定めた。

それでも懸念材料はぬぐい切れず、進める事の出来る時には進めてしまいたい。実家というエリアである以上、不慮の事態が発生する事も多いからだ。

昼の行動

案の定。

10時前になると父が作業小屋に顔を出し、自身の作業とは異なるタスクを二つ引き受ける事になった。


  • キッチンの換気扇修理

  • 引き戸に出来る隙間の補修

話を聞くとそのまま現場を確認に向かい、必要な資材と作業を脳内で見積もり、一度その場を離れる事にした。


作業小屋で、資材の確認と数分の思案を経て、再度、車に乗り込みエンジンをかける。

この日、自分の行動計画では、新たなタスクの他、事前に予定していた物が2つあった。ひとつは、昼食と夕飯の準備。

そして、もう一つの用件は、午前中に済ませてしまわなければならなかった。


買い物

外出する際には、いくつかの用事を同時に済ませてしまいたいと考えていた。ひとつは前出の食材の調達。

もうひとつは、自身の仕事着の購入だった。


自分の事を先に済ませようと市内の紳士服チェーンに向かう。


しばらく購入を怠っていたため、スーツが必要になっていたのだ。

オフィスワークでは、汚れや破損は多く無いが、時には宿泊を伴う出張もあるし季節という物もある。


スーツは仕事着と割り切っているので、過度なこだわりはないが、多少の事の好みと現在使用している物とのバランスはある。

が、気にしなければ良かったとこの日ほど思った事はない。少しのこだわりが大きなトラブルを呼び込む事になってしまった。


トラブル発生:
同じエリアに2店の紳士服チェーンがあるので、購入に向かった自分は、実家出発の20分後、先に訪問した店舗に見切りをつけ2店舗目で購入すると決め移動していた。


2店舗目では、先の店舗では利用すらしなかった試着室に入り、早々に一着の購入を決めた。

そして、2着目もすぐに見繕うと店員に宣言し、仕事着の購入を終える。

ハズだった。


時間は少し戻るが、入店時に付かず離れずの距離にいた店員は、自分の好みとは大きく異なる接客姿勢だ。


自分は、紳士服の購入に行くと、スーツのサイズや体型の表示について知っているかと遠回しに聞かれる事が多い。そして、私服だとほぼ確実に確認をされる。

これでも25年以上週に5~6日はスーツを着て、ネクタイを締める生活であるにも関わらずだ。


当然、件の店員も、"貴方でもスーツ買うのですか?"と視線で語りながら、入店時にドライな感じでご説明下さった。

事務的でありながら、やや威圧的なしゃべり口調にも感じられる。また、商品の品定めを行っていると、完全に不要な物も進めてくる接客スタイル。どちらも苦手でしかない。

普段なら、丁重にお引き取りを頂くところであるが、時間的な問題からもこの店舗で購入すると決めて入ったので、自分の店員に対する好みは封印してこの方から購入すると諦めていた。


まぁ、明らかに作業に使っていそうなデニムパンツ、Tシャツにパーカー、そしてスニーカーという日曜日全開のさえないお父さんファッション。いや、先ほどまで実際に作業していたスタイルのまま紳士服店を訪れる自分にも非があるとは思う。


しかし、今回はそんな自分の意識と、反りの合わない店員の姿勢が、奇跡的に負のコラボにつながったのだ。


1着目を決めた後、ものの3~4分で2着目のスーツを見繕い、裾上げ等の依頼をしている合間にも、数々の不要物を進めてくる店員。

小物は家に有り余っているので、いらないと優しく断り、会計をして欲しいと申し出たその時、予期せぬトラブルに直面した。


文字通り日々の「仕事着」を購入するレベルの注意力で、店舗をウロウロしていた自分は重大な過ちを犯していた。

会計を求められた店員が、すまし顔で提示した合計額が予算の倍近いのである。


間違えた理由は単純極まりない。

紳士服チェーンお約束の割引価格で買い物をしていたつもりが、いつの間にか割引適用外のコーナーを物色、そのまま一気に2着を購入する流れで店員に接していたのである。

しかも、数々のプッシュを即断で拒否しながら。

確かに、自分が購入すると言ったスーツの裏地には、割引コーナーには並ばないであろう知った名のラベルが付いているので、提示された金額も納得である。


支払いはカードを使う予定だった。

それに独身時代であれば、購入することもある程度の価格ではある。


しかしながら、ランチを選ぶ勢いで購入しようと思える金額ではないし、事前に妻に話していた予算の倍をポンと出せるほど、家庭内での決裁権も有していない。

それでも、この時の自分は、目の前にいる店員にゼロから選びなおすと申し出たくなかったし、時間を無駄にしたくないという思いがあった。

結果、先に選択した1着のみを購入して店舗を後にする事となった。


その時の判断におけるプロセスは自分でも説明がつかない。

あえて言うなら、2店舗目に入店した直後から、全てが店員の術中にあったのではないかと疑いたくなる程であった。もしくは、店員と相いれないと決めつけた、自分の意識がそうさせたのか。

裾上げを当日引き取りで依頼できたのが唯一の収穫で、何とも言いようのない敗北感に包まれ店舗を後にする事になった。


自分は、趣味に関わること以外、買い物やブランドに一切の執着がない。

家計の管理にも関与せず、生活に関する事は全て妻に任せきりの状態と言っていいと思う。


しかし、それ故に数万円の買い物は、家計担当者に許可を得ないと気持ちが悪いというのもある。

スーツも買い足すようにと幾度も指示を受けていた中で、購入に使う時間が勿体ないと先送りしてきた案件だった。

今回、実際に購入が必要だったことと、近くなった誕生日に向けて何か欲しい物があるかと聞かれた際に、回答を持ち合わせていなかったのでスーツを買う事にした経緯だった。


店舗を出て、次の買い物に向かう前に、何故か事の次第を妻に報告する事にした。

なぜかそうしたくなった。
店員に対して一方的に感じた敗北感を紛らわせようとしたのか、2着購入すると思っている妻に事前の言い訳をしようと思ったのか、これも自分では定かでない。


そして報告を終えた後に妻の言い放った一言。

『値段よりも1着しか買ってない事の方がショックだわ』


トドメですか。


後編に続く
日記物語:後編|ぶーちゃんと野菜と2号

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