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伊勢・法住院の円空仏と刀八毘沙門天像追記
先日の投稿で、三重県伊勢市にある法住院というお寺にある仏像の話を書きました。明治維新の最初期、伊勢神宮がある伊勢市(宇治山田)では、仏教は聖地を汚すものとして神道との徹底的な分離、いわゆる「廃仏毀釈」が苛烈に実施されました。多くの寺院が廃寺に追い込まれ、貴重な仏像も廃棄されたり売却されたりして、現在の伊勢市には文化財的な仏像がほとんど現存しません。
そんな中、法住院(地元では「かさもり稲荷」として信仰を集める)の本堂には数多くの古い仏像が現存しており、これらは元々はそうした廃寺の仏像が遷されたものかもしれない、というような内容です。
その記事では、さまざまな仏像が立派な厨子に祀られているものの、お寺の警備上の問題もあるだろうから、インターネット上では詳しく書くことができない、としたのですが、2つの仏像に関しては、刊行物や雑誌で公になっていることを知ったので、あらためて追記しておきます。
<不動明王座像>
2022年に、津市にある三重県立博物館が「三重の円空」という企画展を開催しました。その調査の際に、造形的な特徴から円空仏の可能性が非常に高いと鑑定された像です。
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円空は江戸時代初期の延宝2年(1674年)に現在の三重県志摩地方に滞在し、多くの仏像を製作しました。近隣の伊勢市内にも円空仏は多く残るそうですが、法住院にある不動明王も一材から彫出されており、総高11.7センチ、像高8.7センチの小さなもの。上半身や両腕の面取りが、同じく伊勢市内にある中山寺の不動明王と類似していてることから、あるいは同時期の製作かと思われるそうです。
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<刀八(とうはち)毘沙門天像>
「月刊武道」という雑誌の2023年7月号、「武の彫刻」という連載記事に、法住院の刀八毘沙門天像が取り上げられています。私はこちら方面には全く縁がないので、この像のことがなければ、月刊武道を手に取るような機会はおそらく一生涯なかったでしょう。
仏像など文化財の写真家として有名な、佐々木香輔さんが撮影した迫力ある写真と、解説文が載っています。
この像は高さ30センチ。江戸時代の作とみられ、顔が4面、腕が12譬(ひ)。極色彩の甲冑をまとって、手に八振りの刀を握っています。この刀は鍛造された本物の刀で、この種の像として極めて珍しいもの。
刀八毘沙門天は、元々は仏教を守護する神である「兜跋毘沙門天」(とばつびしゃもんてん)が刀八(とうはち)に訛ったものだそうで、上杉謙信や武田信玄も厚く信仰した戦いの神だとのことです。
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これらの仏像は、法住院に寄進されたものなのか、それとも他の寺院から遷されたものなのか、史料もない中で真実はわかりません。
しかし、伊勢神宮を中心に多くの寺院が建ち並び、たくさんの僧侶や比丘尼、修験者たちが法楽を営んでいた「仏都伊勢」の、今に残る貴重な文化財と言えそうです。