仏都伊勢を行く ~神と仏の伊勢神宮~

一般の観光案内や参拝ガイドではめったに語られない伊勢神宮、特に仏教との深い融合の歴史と理論について、素人の目からつづっています。ただし、新興宗教や神秘主義、占いとは無関係です。たまに実地見学会を開催の予定。

仏都伊勢を行く ~神と仏の伊勢神宮~

一般の観光案内や参拝ガイドではめったに語られない伊勢神宮、特に仏教との深い融合の歴史と理論について、素人の目からつづっています。ただし、新興宗教や神秘主義、占いとは無関係です。たまに実地見学会を開催の予定。

最近の記事

伊勢は津で持つ 津市にある天照大神の本地仏

<津の中心であった「津観音」> 三重の県庁所在地である津は、中世の室町時代半ばまで「安濃津」と呼ばれ、天然の良港として有名でした。しかし明応7年(1498年)に起こったマグニチュード8.6とも推定されている巨大地震「明応地震」によって壊滅してしまいます。 その後、慶長13年(1608年)に藤堂和泉守高虎が、伊勢と伊賀の二国の領主となって、安濃津を拠点と定めます。徳川家康の側近であり、城造りの名手とも評された高虎は、新たに津城を建設し、津は城下町として繁栄していきます。 さて、

    • 仏都伊勢を行く ~神と仏の伊勢神宮~ の立ち位置につきまして

      おかげさまで、この 仏都伊勢を行く ~神と仏の伊勢神宮~ のブログも立ち上げからほぼ1年がたとうとしています。観光ガイド的な伊勢神宮案内とは全く異なる、マニアックな内容にもかかわらず、少なくない方にお立ち寄りいただき、「スキ」まで頂戴していることには、ただただ感謝しかありません。 内容をお読みいただければわかっていただけるように、ここはオカルトや神秘主義を唱えているブログではまったくありません。そして当然ながら、既存宗教、新興宗教を含めて、特定の教義や宗派を推奨したり、逆に貶

      • 慶光院がなければ伊勢神宮は存続しなかった(旧慶光院見学記)

        <慶光院(けいこういん)を訪れるべき理由> 11月3日の文化の日、この一日だけ一般公開される旧慶光院客殿を見学してきました。ちょうど全国大学駅伝の日で、大歓声と各大学の応援歌をまじかに聞きながらの見学です。 伊勢神宮が創建からの長い歴史の中で、断絶せずに現在に続いているのは、ここにあった慶光院という尼寺のおかげと言っても間違いではありません。伊勢神宮に関心を持つすべての方は必ずここ慶光院を一度は訪れていただきたいと願います。 伊勢神宮の多数の祭祀の中でも最も重要なのが式年遷

        • 法然の「神祇不拝」と伊勢神宮

          <京博「法然と極楽浄土」へ> 現在、京都国立博物館で開催されている展示会「法然と極楽浄土」へ行ってきました。法然(円光大師)は言わずと知れた浄土宗の開祖で、それまでは上流貴族など一部の限られた人々の信仰であった浄土思想を広く一般庶民にまで普及させ、極楽往生への方法としての「専修念仏」を提唱し実践した、日本宗教界のイノベーターと言える偉人です。 その深遠な理論や、念仏の実践に捧げた苦難の生涯については、すでに多くの書籍もあるし、この企画展でも国宝の「早来迎図」を始め、多くの文物

          神嘗祭でも日本農業の衰退は止まらない

          <伊勢神宮は神嘗祭> 10月15日から17日にかけては、伊勢神宮で最も重要なお祭りとされる神嘗祭(かんなめさい)が斎行されています。 神道学者である三橋健さんの「伊勢神宮」(朝日新書)によれば、 その年の新穀を天照大御神にお供えし、ご神恩に奉謝をする。伊勢神宮で最も由緒深い祭典。天皇陛下は勅使を差遣され、奉幣の儀が行われる。 とあります。 これは、伊勢神宮の祭神である天照大神(天照大御神)が我が国を治めるために、孫であるニニギノミコトを下界に遣わす際、稲を与えたという神話「斎

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          柿に名前を残す伊勢神宮祭主の寺・蓮台寺(廃寺を行く6)

          <伊勢名物 蓮台寺柿> 伊勢神宮がある伊勢市の名物といえば、うどんとか、あん餅とかが真っ先に思い浮かびますが、今のこの時期は「柿」が名物であることをご存じでしょうか。伊勢市の文化財ともなっている固有種で「蓮台寺柿(れんだいじがき)」というものです。伊勢市内のスーパーではごく普通に売っているものです。(ちなみに、伊勢市内のスーパーでは伊勢うどんもごく普通に売っています。) さて、この蓮台寺(れんだいじ)、が今回のテーマです。 結論を先に書くと、蓮台寺は平安時代後期の11世紀初

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          伊勢神宮と弘法大師(丹生の水銀にまつわる話)

          <伊勢神宮と弘法大師> 伊勢神宮と弘法大師・空海の関係については以前も何度か書いています。 空海はもちろん、平安時代初期の実在の人物ですが、全国各地を巡ってさまざまな奇跡を起こしたとされる「弘法伝説」の多くは、空海の活躍から数百年も後の鎌倉時代以降に広まったものだそうです。 伊勢神宮にまつわる空海の話も正式な国史に記録されているものはありません。「伊勢神宮に参詣した」などの大部分は伝承なので、史実かどうかはかなり割り引かなくてはいけないと思いますが、伊勢神宮が古代以来の朝廷の

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          度会神道発祥の地「仙宮院」に空海も最澄も来ていた? 

          <外宮は内宮よりも劣っている?> 伊勢神宮にはいまだに明快には説明できない、さまざまな事象が残ります。例えば、内宮と外宮の関係。 伊勢神宮の公式見解は「両宮は決して同格ではなく、皇大神宮(内宮)が最も尊いお宮で神宮の中心です。」とあります。 しかし内宮、外宮とも正宮の大きさはほぼ同規模で、しかも内宮は偶数と水平の「陰」、外宮は奇数と垂直の「陽」を表し、両宮で陰陽道の世界観を象徴していることは明らかです。 日本書紀を原理的に解釈した内宮の優位、外宮の劣位という考え方は、古代には

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          残暑の伊勢神宮美術館

          伊勢市内もようやく朝夕は秋の気配が感じられるようになってきました。とはいえ、日中は35度にもなる猛烈な暑さなのに変わりはないのですが。 今日はちょっと趣向を変えて、神宮美術館の訪問記を書きたいと思います。伊勢神宮の内宮と外宮のちょうど中間地点にあって、なかなか気軽に立ち寄れない場所にはあるのですが、1時間あれば十分に見終えることができる、伊勢らしいコレクションの、コンパクトな美術館なのでおすすめです。 神宮美術館は、平成5年に行われた伊勢神宮の式年遷宮を記念して建設された、

          伊勢神宮・内宮のお寺 田宮寺へ

          <田宮寺に行ってきた> 昨日は、三重県度会郡玉城町にある富向山田宮寺に行ってきました。正式な読み方は「ふうこうざん でんぐうじ」だそうですが、地元では「たみやじ」と呼ばれています。 真言宗の無本寺で、現在は住職がおられず、地元の皆さんが支えて運営されているお寺でもあります。8月9日は観音会式の縁日で、ご本尊の十一面観音立像2体が拝観できる貴重な機会なので、猛暑の中、お参りに行ってきました。 <神宮寺とは> ところで、ここ田宮寺は伊勢神宮内宮の神宮寺として広く知られていた有名

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          伊勢神宮を車いすで参拝するには

          <車いすでの伊勢神宮参拝> 一度でも来たことがあるならよくお分かりいただけるでしょうが、伊勢神宮は内宮(ないくう。皇大神宮)、外宮(げくう。豊受大神宮)とも、参道が非常に長く、砂利敷で、しかも途中にトイレや休憩場所もほとんどありません。ただ単に参道を往復するだけで、内宮なら約1時間、外宮でも20分程度はかかるので、足の不自由な方、体力に自信がない方にとって、参拝はいささかハードルが高いものになります。 そのため、内宮でも外宮でも、参道専用の車いす(手動、電動の2タイプ)が貸

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          古くて新しい 外宮ゆかたで千人お参り

          <ゆかたで千人お参りに行ってみた> きのう8月1日は、伊勢神宮の外宮(げくう。豊受大神宮。)と月夜見宮で、「伊勢神宮外宮さん ゆかたで千人お参り」というイベントが行われていました。民間の実行委員会が主催しているもので、今回で26回目になるとのことです。伊勢市では夏の風物詩として定着しています。 伊勢神宮は、通常なら夜間は、参拝はもちろん、境内に立ち入ることもできません。この日はその例外となる貴重な機会。浴衣姿のたくさんの老若男女の参詣者が訪れていました。もちろん、浴衣以外の

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          7月7日は世義寺「柴灯大護摩」の日

          世間では七夕の7月7日は、伊勢、特に外宮(豊受大神宮)の門前町である山田地区においては、伊勢の名刹・世義寺(せぎでら)で柴灯大護摩(さいとうおおごま)が行われる日です。いにしえの時代ほどではないにせよ、そこそこ人出もあり、夜は露店で賑わいますが、残念なことに山田地区以外の方々、ましてや観光客にはほとんど知られていないお祭りだと思います。 このnoteは、伊勢神宮における神仏習合の歴史をテーマに記事を書いています。伊勢神宮が現代のように仏教色を排除された姿になったのは、明治初

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          外宮を歩いて考える 伊勢神宮は説明が少ないのか?

          外宮外苑の勾玉池の花菖蒲がきれいな季節です。 梅雨入りも近いであろう6月の晴れた夕刻、外宮をお参りしました。 午後5時を回ると急速に参拝者は少なくなるので、ゆっくり落ち着いて参拝できるのはありがたいです。 先日、奈良に行ったのですが、つくづく思ったのは、東大寺や春日大社、元興寺といった世界遺産の寺社、さらには隠れた名刹のイメージが強い、西大寺や般若寺などでも、参拝者向けの説明書きや案内表示が多くあって、煩わしささえ感じてしまうことでした。 外宮を歩いていると、その逆で、案内

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          夕暮れの伊勢神宮・内宮参り

          有名なお寺や神社はだいたい夕方の5時で拝観時間が終わってしまいますが、伊勢神社は今の夏の時期、午後7時まで参拝することができます。参拝客でごった返す昼間の喧騒とは別世界の、静寂に包まれた境内で心静かに参拝できるのでおすすめです。 午後5時。日は傾いてきたとはいえ、まだまだ明るく、暑いのですが、内宮の宇治橋に続く参道では早くも店じまいの作業が始まっています。ほとんどの店は5時で終了で、観光客もまばらになっています。 初夏らしく、たくさんの燕が飛び交っており、時おりぶつかりそ

          空海と伊勢神宮(アマテラスは大日如来だった!?)

          奈良国立博物館で開催されている(といっても、明日6月9日で終了してしまいますが)生誕1250年記念特別展「空海 KŪKAI─密教のルーツとマンダラ世界」にようやく行ってきました。 日本に密教を本格伝来させ、我が国の精神思想にも強い影響を与えた弘法太師 空海にまつわる、経典、書籍、文書、仏像、仏具、仏画などが一堂に展示されており、大変に見ごたえがありました。 空海が活躍したのは唐から帰国して真言宗を開いた9世紀前半のことです。時代でいえば平安時代の前期であり、経典解釈が中心で

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