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雑司ヶ谷で追われた話
地元の後輩が、中学3年生のときの話。
夕方、塾に行こうと家を出ると、自転車がパンクしているのに気づいた。
急きょバスを使って塾に向かい、授業の開始時間ギリギリで教室に入る。
時は、受験シーズンの真っ只中。
多少の遅刻でも致命傷になりかねなかったから、滑り込みで間に合ったことに胸を撫でおろしたという。
集中力を使う4時間の授業が終わり、塾を出たときにはすでにあたりは真っ暗になっていた。
そこで、「今日は歩きだったんだ」と思い出した。
が、バスの最終には、もう間に合わない。
仕方なく近道をしながら、帰路を急ぐことにした。
一瞬不安に思ったのは、大きな墓地を横切ること。
冬の寒空の中、誰もいない夜の墓地を歩くのは少々心許ない。
それでも、急いで家に戻って今日の授業の復習をしておきたいという思いが勝った。
墓地は街灯が設置されているため、意外にも明るい。
少しホッとして、真っ直ぐ道を歩いていると、視界の隅で、何か動くものをみつけた。
目を向けようとして、やめた。
脇に並ぶ墓石の隙間から、全身真っ黒の、それでいて顔のあたりだけが嫌に青白い人の姿を認めたからだった。
それは、じっとこちらをみつめている。
呼吸が荒らぐ。
その存在に気づいていることを悟られてはいけない気がして、歩を進めながら、どうにか息を押し殺す。
すると、ちょうど真横を通ろうとした瞬間、その姿と気配が消えた。
…よかった、逃げ切った。
そう思った束の間、数メートル先の墓石から、先ほどと同じ顔がにゅっと飛び出すのが目に入った。
また、出てきた。
どうやらそれは、墓石の隙間を転々と移動しながら、自分を追いかけてきているらしい。
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ただし、こんな元気いっぱいではなかったはず。
真横を通り過ぎる。
姿が消える。
先の墓石に顔が現れる。
その繰り返し。
怖いと思う反面、だんだんと腹が立ってきた。
なぜ、自分がこんな不条理な思いをしなければいけないのか。
ただ、道を歩いてるだけじゃないか。
そんな思いが限界まで来たとき、「あ、無視しよう」と思った。
ただ追いかけてくるだけで、何もしてはこない。
だとしたら、そこらへんの野良猫と一緒みたいなものじゃないか。
気持ちを切り替えて、塾で解いた数学の問題を思い浮かべることにした。
なぜあの問いで、数式を思い出せなかったのか。
あれをすぐに思いつけるようにしておかないと、受験で対応できない…。
すると、真横に並んだ右脇の墓石から、舌打ちが聞こえた。
前方に、顔はなかった。
振り向くと、自分が通り過ぎた墓石にしがみつくようにして、こちらを悔しそうに眺め続ける、それが見えた。
そして、少しずつ体の輪郭が薄れていき、とうとう姿が見えなくなった。
以来、その墓地の一画には絶対に足を踏み入れないと決めたという。
90年代の、雑司ヶ谷霊園のエピソードである。