未ダ光視エズ
物々しいタイトル書いてますが、結局のところ、自分の中でも整理がつききれてない最近の日常に対する感情的な話をただただ連ねていくだけです。日記です。以前の記事と大分内容被ってるので、適当に読んでください。
僕と同じような感覚で日々過ごしてなんか変な感じしている人がいれば、お互い少しくらい楽になろうぜ、って思って書いています。
相変わらず、ないものに目を向けてねだってしまう日々を送っています。
・先輩方程の知識量が俺にもあれば、もっと研究もスムーズに進むんだろうな
・インターンもちょいちょいチェックしないとな
・それはそれとして趣味のことも進めたい
などなど、様々な点で相変わらず頭抱えてますが、結局のところ、僕自身のは「自分がこうである」や「これで行こう」という感覚としてまだ薄いのが原因として作用しているのかなと思います。
例えば、ぶっちゃけ研究をそこまでやらなくともいい(≒卒業要件さえ満たせばいい)と思っていれば、先輩方程の知識量を今の段階で欲しくなることはないと思います。(というか、今の段階で持ててないこと自体を嘆くのも違いますが)
その逆として、これからもアカデミアに残ろうと思うのであれば、(一般的とされる就活の中で広く行われている)インターンなどに気を払うこともないかと思います。
こういうふうに迷う理由は、色々な人を見てしまうからというのが強い体と思います。
特に同期。
ある同期が就活頑張りつつも学会で報告してたりとか聞いたりして、自分にはそういうのがないな(卒論でやったことがあまりにもしょぼくて報告できるほどではないし、テーマも変えようとしているため、卒論でやったことをベースに派生したテーマで何か研究をしようと思う気が正直なくなってしまっているのもありますが。単純に今研究で関心が向いてる先が変わった)となったり。
かたや別の同期は、D進する決意を固めたのでそもそも就活なんざする気はない、と言っていたり、更に別の同期は就活しかやってなくて、研究の進捗0です、と言っていたり。
ただ、それぞれに共通しているのが、理由の有無とかに関わらず、皆それぞれが自分の方向性に向かって一歩一歩進んでるんだろうな、と感じられること、やはり僕の周りには、屈折した光ではなくその人自身が放つ「光」をきちんと持ち合わせている人が多いな、と感じさせられます。
以前の記事でも書いた気がしますが、僕は同期をはじめとする、そう言った人たちがそうした魅力的な面を持つようになったのは、その人たち自身が今までその人なりに、積み上げた何かがあってこそだと思っているので、そうした彼らの「光」に魅せられると、すごく素敵なことのように感じます。
その一方で、未だに自分のそうした「光」の要素に当たりそうな何か、あるいは積み上げていったら「光」にできそうな何か、もっというと積み上げることで「光」にしたい何かが、これと言ってないな、という感覚になってしまっているのもまた事実…
幸か不幸かわかりませんが、僕が信頼している友人からは「人当たりが良い」とか「話しやすい」とか「人の良いところを見つけるのが上手い」と言ったお褒めの言葉をいただいているので、それを信じて、僕の「光」がそういうものである、と思うことにしています。
(ぶっちゃけ、それは偶々そういうふうに見えてるだけでしょ、とも思ってしまいますが、それを言い出すと、僕が見ている友人の姿、というのも僕がそう見えているだけでしょ、という言葉に僕は返す言葉がないのもあるし、僕が信頼している人たちがそういう風に言ってくれてるのを僕が否定する、なんて事したら、結局その人たちを信頼していないことになってしまいますし、何より、本質的に絶対的に良いことも絶対的に悪いこともないので、それがよく見えてるうちはそういう風にさせてもらおうよ、と言ったかなり都合の良い見方をしているのもありますが…)
極論になるけど、良いとこ中心に目を向けて、それをより良くするにはどうしようかって考えしないと、ストレス馬鹿みたいに増えるのもある。
(以下余計な自分語り)
今までを振り返ってみると、基本的に僕はあんまり特定の何かをこれだと意識して選んだ感覚があまりなかったな、と思います。小学生の時も、なんか気づいたら剣道やってたし、中学・高校の部活選びとかでも気づいたら、どっちにするか決まらなかったから、二つの部活を掛け持ちして、それに加えて、委員会にも入ったりなど、中々今思えばメチャクチャな選択してた(それでキャパオーバー発生させて半年くらい高校で不登校になった)し、大学入ってからもなんか気づいたら、なんかよく分からんサークル入ってたし、大学院進学するときも、なんかもうちょい面白いことできるんじゃねえのみたいな理由で所属先変えましたし、かなり明確な意思があって選んだわけではないな、と常々考えてしまいます。(もしかしたらスピリチュアル的に私は何かあるのかもしれません)だから、何か一個を明確に極めるぞ!みたいな強い核はそこまで存在しておらず、強いていうなら、何に出会うかは出会えるかも含めて運ゲー要素強いから、せめて出会った先で関った縁くらいは大事にしようくらい、は思っています。(もちろん、合う合わないとかどうしても零れ落ちてしまうことは発生しているので、そういう場合には正直にできませんとか、すまんな^^って位の意思表示はしますが)
何というか僕の人生は9割以上は運で進んでいて、その残りのほとんどは、僕自身の怠惰さと見栄を張った義理人情によるところが大きいです、という感じでしょうかね。
再三になってしまいますが、僕は基本的に「世の中の大体のことは良くも悪くもなり得るから、あんまり『良い』か『悪い』かで考えても意味がない」と思っています。(どっちの良さを取るかの話でしょ?って感覚)
だからこそ、僕はなるべくプラスの見方をしようと思っていますし、マイナスの面が見えてきたら、それはもうしょうがないですし、(場合によっては縁とか切りますけど)基本諦めて受け入れるようにします。僕からすればマイナスに見えることでも、それを習得しないとやりきれなかった過去が人間ってそれぞれあるでしょうし。だから、仮にあの人と合わないな、って思ったら、「僕はこう思ってるので、君とそこは違うね」とか適当に言ってすり合わせれたらいいな、とも思いますし、無理でも「まあしゃあないよね」というだけの話です。極論、僕は基本人の良い面しか見たくないし、教えたくないです。
勿論、所謂短所も聞かれれば答えますが、大体長所を悪くいったパターンにしかならないですし。(遅刻すんなら連絡しろ、とかそういう現実的な話はまた別で)
とりあえず、最近の気持ちの持ちようとしてはこんな感じですかね…
夏季休暇入ってからも、それなりに論文読んで修論用のストック溜めてるし、指導教員の先生にも自分からメールして相談できてるし、正直色々不安はありますが、どうにか折り合いつけていきたいですね。最近は睡眠の質が明らかに下がっているので、そこをどうにかせねば…
ここまでただただ気持ちを少しでも楽にしたくて書いた文章を読んでくださりありがとうございました。
この手の話題以外で書けそうなことがあまりないので、それも増やせたら良いですね…
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