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人生、日々祭。
突然だが、私は今右耳があまり聞こえない。数年前から持病のせいで耳の中に膿が溜まるという症状が出てしまい、何度となく聞こえづらい状況がやってくる。聞えないというのは外からの音がしないというのではなく、ひどい耳鳴りと鼓膜が膿で圧迫されているせいで中々音が拾えない状況ということだ。左耳は聞こえているのでどうにか生活は送っているけれど、非常に不便で不快な状況となっている。右側を走る車にも気づけないこともよくあるのだ。以前は鼓膜切開をし、中の膿を吸い出してもらうという手術を数えきれないほどしてもらったけれど、そのせいで私の鼓膜にはもう塞がることのない穴が出来上がり、耳鼻科医に「もう手術はしない方が良い」という判断を下されてしまった。ここまで聞こえづらい状態にもかかわらず、私はただ耳の中の膿がどこかえ消えることをじっと待つしかないのだ。
さっき、左耳から藤井風の「まつり」という歌を聴いて思い出した。右耳の膿が減り、運よく耳管が開通した時に私はそれまで拾えなかった音が突然聞こえてくる時のことだ。例えばお風呂場にいる時に聞こえる、水滴が床に落ちる音。それはとても小さく繊細な高音だ。そして久しぶりにその音が聞こえた時、私はいつだって思うのだ。
「世界は美しくて、人生は素晴らしい」と。
病気や体の不調が原因でなかなか思った通りの生活が出来なかった期間が長く続いたあと日常に戻り、それこそ何の不自由も感じずに外を歩き、頬に風を感じた時には、感動のあまり「人生、毎日が祭りじゃ」と呟いたこともある。「生きていることが祭りのようだ」と、元気になった私は誰にも言わずに一人で呟いたのだ。
私は元気な時期が長くなるとそんな事すぐに忘れてしまうけれど、あぁ、藤井風さん、思い出させてくれてありがとうと感謝を伝えたい。
♪『どんな時も踊っていたい。苦しむことは何もない。好きに生きていこうじゃないか。』
今も私の右耳はものすごい金属音が爆音でなり続けているかのような耳鳴りがしている。この音を聞きながら毎晩眠るのだ。たまに左耳も同時に爆音が始まると涙が出そうになるけれど、これも祭りの夜だと思ってやり過ごしてみよう。生きているのだから、今夜はめでたい。