自粛生活で見えてきた本当の"消費欲求"
自粛生活が始まってから、大好きな原宿にも代官山にもふらっと出かけられなくなった。ウィンドウショッピングという概念が崩壊し、その代わりにインスタで気になる洋服や化粧品を見て回っているけれど、実物を触ったり、試着したりする喜びはしばらくおあずけの状態が続いている。生地の感触や、カットの感じが自分のふくらはぎをキレイに見せてくれるか、鏡の前で一回くるっと回ることができないと、なんとなくスカートを買う気分にはなれないので、洋服を買う気分自体がどこかへ行ってしまっている。
実際に購入はしなくとも、試着する。触ってみる、触りながら想像する。そういう体験て、必要だったんだなと改めて実感している。そんな中見つけた、自粛でも試着できるサービス。
輪島塗なんて、自分が接点を持つとは思っていなかったのだけれど、IDEAS FOR GOODというサイトで出会った。「おうち時間が増えて、自宅でのご飯が増える今の時期だから、無料で輪島塗を体験してください。おうち時間を豊かにするお手伝いになれば」という、いわゆる器の試着サービスなのだが、面白そうなので、早速申し込んでみた。家族構成と、どんなおうち時間を過ごしているかをメールすると、漆器店の店主が器をセレクトして送ってくれる。うちには3つの器が送られてきた。
一枚は、赤い洋風皿。パスタをよく作ると伝えたら、これがいいのではという提案。昨日は週頭に作った塩豚の残りでおじやにしたので、記念すべき1回目の盛り付けにパスタを盛れなかったことが悔やまれるが、漆の器で食事の気分もかなり変わるんだなと実感。次はパスタをよそいますよ。
もう一つは、緑の漆器の枡。そもそも漆器に緑色があるなんて知らなかった。これは、メールで店主に、自分は甘いものが好きで自粛生活になってからよく自作しているということと、先週アイスクリームを作ったことを伝えたら、提案された。枡にデザート。早速、仕込んであったレモンクリームをよそってみた。可愛い。三つ目は、黒い漆器で金の縁取りがしてある、カクテルカップの受け皿にとセレクトされたもの。まだ、盛り付けていないので、盛り付けたらインスタに写真を上げようかな。ナッツやチーズをのせるおつまみ皿としても使えます、と直筆のお手紙にも心があたたかくなった。
自粛生活で、意外と喜びは増えたのではないかしら、と感じている。地元消費、共感消費と言えばいいだろうか。この漆器サービスも然り。
運動不足解消のために毎日している散歩で、家の周りの大好きなお店に行く頻度が格段に増えたことも私の消費生活を豊かにしている。予定の無い週末にしか行けなかったそのカフェでコーヒーを毎日買える生活。自由に使えるお小遣いには限りがあるから、毎日は買わないんだけど。お店を覗く頻度が増えれば、必然的にマスターとは顔見知りになる。こんな時代だから、どのマスターもインスタやTwitterをやっていて、そこでも繋がる。そうすると、これまでは知らなかった、そのコーヒー屋さんの裏話を知るようになる。どこから豆を仕入れているのか。オーガニックな豆を育てている国内の農園から取り寄せているだとか。実はこの映画が好きだとか、遺伝子組み換え食品の怖い話、コーヒー屋のマスターの友達のパン屋の話まで…。インスタのポストにタグ付けされた情報は、どこまでも遡っていくことができる。旅行はできないけど、知らなかった世界を旅できるのは、旅行に近いワクワクがある。手にした一杯のコーヒーに、どんな人たちの「想い」や「好き」、そして「思想」が詰まっているのかを知れること、それを消費しているんだ、という、実感、手応え。今までは、あまりこういう手応えのある消費ってなかったんじゃ無いのかなあと思う。
自粛生活に入る前、私たちは楽しそうな生活を送るインフルエンサーやモデル、有名人に憧れて、はたまた、自分だけ取り残されないように必死で流行り物をチェックしては、テレビで取り上げられる話題のスイーツを食べに出かけた。食べても食べても追いつけないとめどなく流れてくる情報。飲食に限らず、映画や美術展、イベント、ライブなど、休みがあれば、世間で流行っているものを追いかける、追いかけて追いつくことが喜びだ、という思い込み。訂正する、追いかけることは楽しくもある。だけど、過剰だった。だから、正確には情報に追いかけられていた、と言った方がいいのかもしれない。
肩パンしないと生き残れない資本主義社会において、強い情報、太い情報を早く手に入れること、体験しておくことはスキルでもあると思う。自分の場合は、企画を仕事にしているから、というのもあるのかも。消費しないと置いてかれる。置いていかれると生き残れない。そんな脅迫感。Fear Of Missing Outならぬ、Fear Of Being Late。毎日の仕事や情報に追われ、正月が終わった瞬間に恵方巻きのノボリが立つコンビニに、四季をスケジューリングされて、次に消費するものを決められていた。自分で選んだり、確かめたり、考えたりする、消費することの本当の楽しさを忘れていたような気がする。
コンビニと言えば、行く頻度がめっきり減った。ガス水道電気の支払いをするときと、メルカリを発送するときにしか行かない。それよりも4−5日に一度行くスーパーで、フルーツ棚を見たい。イチゴの棚がオレンジに代わり、今はアメリカンチェリーが並び始めているのを眺めて季節が巡っているのを感じたり、昨日はカツオがたくさん出てたけど今日はトロ柵が安くなっている、というのを見て、今は行けない海のことを考えたり。どこのコンビニのトロふわプリンが美味いか!という食べ比べも良かったけど、プリンならいつものマスターのプリンが食べたい、という気分。だって、美味しいと言うと「よかった!また来てください!」と笑顔が返ってくるのだもの。手触りのある、実感のある、誰かが笑顔になるのがわかる消費がしたい。
買い出しの頻度を減らしましょうという自粛。通勤しなくなり、在宅ワークに切り替わったことで、減った残業代。今までみたいに気になったものを気にせず買い物する自由はなくなった。その代わり、本当に気持ちが豊かになる消費がしたいなと選ぶようになった。世の中の人はどうなんだろうか。
私のミニシアター好きはpodcastで何度か話したけれど、コロナ禍で映画館が立ち行かなくなっているニュースの傍らで、ミニシアターを救おうと言うクラウドファンディングが立ち上がっていた。少額だが寄付した。ミニシアター好きなんて世の中にどのくらいいるのだろうか、と思っていたけれど、29,926人からのアクションがあり、支援額は総額3億3102万5487円集まったそうだ。
これから「新しい生活様式」がどうなっていくのかは正直誰にもわからない。人と直接会えないことは、多分みんなストレスに感じているけれど、身近な世界に生きることを体験した今、消費の形はきっと変わるんじゃ無いかと思う。「みんなと同じものを消費したい」という気分も残る一方で、「大切な人、知ってる人、同じ思想の人」のつくるものを消費したい、と言う気分の拡張。使えるお金の原資が減れば減るほど、その傾向はきっと強くなる。好きなことをサポートする、それで社会が回っていく仕組みがより強化されるといいなと思う。