おせち配膳
2020年1月1日。
実家。東京に実家があると、日常は地に足のついた忙しさだ。地方から来た人が羨ましい気持ちがたまにある。だって、家族のややわずらわしい集まりや、手間のかかる頼まれごとは、地元に帰ったときだけでしょ。それが、ありがたくもあり、東京が地元であるプライドや安心感そのものでもあるのだが。
ロンドンに留学したとき、初めて地元を離れた。あのとき感じた非日常感。過去やしがらみとの断絶。同郷の人とはプラスの文脈だけでつながれる。
年末年始じゃなくても、チャリで15分のところにある実家には週末と平日の決まった曜日に帰る。介護のためだ。
コロナ禍だけど、首都圏にいる姉弟は帰ってきた。実家暮らしの姉は今年持病が悪化した。根治は難しい病だけど、うまく折り合いながら元気に生活している患者も多いらしい。今は、退院したとはいえ、まだ具合が本調子ではなさそう。ずっと自室にいる。
痴呆の父の下の世話をしていた私に、念の為食卓を分けると言い出した弟。部屋にこもったままの姉。元旦が誕生日の母。
いつもは皆でつつくおせちを、今年は一人ひとり別の器にあらかじめ盛り付けていただく。
昨夜大晦日に支度したおせち。改めて、一人ひとりの好みを思い出しながら菜箸を動かす。
おかずの数、皿の数。6枚がなかなか、うまらない。腹は減る。まだかと父は覗き込む。
正月だからイライラしないと何度も自分に言い聞かせたのに。気づいたら怒鳴っていた。後悔先に立たず。
怒鳴るくらいなら、栗きんとんを舐めて落ち着けば良かった。
今年はイライラしても深呼吸してやり過ごす一年にしたいと誓いながら、もう一度菜箸を取る。埋まらない皿はない。食べたときの幸福感は、何にも代えがたい。家族は、しんどい。だけど幸せもある。
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