自己肯定感を味方に
初めて目にした時は おぉっ!って希望の光が差したような喜びが走った。
「自己肯定感の低いわたし」
誰かが書いたその文面に目が留まり、これは救いの言葉だ!!と飛びついた。
自己肯定感が低いので〜。
自分の至らない部分を上手く埋めてくれる言葉だと思い使いまくっていたのだが、「私もわたしも〜」と共感女子が一緒になって盛り上がるというパターンもあり、その度に違和感があった。
そして気づいた。嗚呼、、、またやってしまったと。
相手は返事のしようがないし、そんなこと言われたんじゃ会話も面白くないよね。
なにより、え〜意外。全然自信もって良いと思うわよ。なんて言って欲しいだけでは?って言われれば図星。
強制的に言い訳を聞かされて話に付き合ってくださった皆様には感謝しかないけれど、ある時このフレーズにパワーがないこと、自分すら全然救われていないことに落胆した。
自己肯定感なんていちいち気にしてんじゃないよ、脳内暇人か?
そんな気持ちになってからは一転、使用禁止用語に分類されている。
実際に低いままの”自信が持てない性質”は置いてけぼりのまま。
この”自己肯定感低いのわたし告白”期間を通じて知ってしまったことがある。
謙遜も含め基本的に自分のこととなると「いや、わたしなんて」と思うタイプと、
生まれてこの方「わたしなんて」みたいなジメッとした思考に傾いたことなどございませんわっ。というタイプの2種類にハッキリと分かれるという事実。
加えて、相手チームがそんな風に自身を捉えているということを
お互いが想像だにしなということ。
これまで幾度となく
自信を持って良いんだよ。持て!持ちなさいっ!!と言われても
うん、そうするね〜なんて簡単にできればやってるわ って
反抗することしかできなかった。
でも、このもう一つのチームに気づいてしまってから、
これはなんと不公平な現実なのかと悔しい気持ちになったんだよ。
誰に頼まれた訳じゃないけど、とりあえず謙遜してたのにさ、
えっ、どうしたの?!って感じの他人が
もしかして自信満々で心地よく生きているの?!なんて想像するようになって。
だとしたらよ、
わたしだってそっち側になりたいよぉって感じるようになっていった。
心の持ちようは完全に自由なんだから、
自分次第で決めて良いんなら絶対そっち側がいいに決まっている!!
心の置き場所を±で迷いグラグラするたび、こっちだよぉと➕に引き寄せる訓練。
自分が自分を信じてあげないとかわいそうだよ。
頑張ってるじゃん。大丈夫だよ。可愛いよ!
大切な人に掛けてあげてきた言葉を自分にも。
一気にチーム移籍は難しくても、あっと気がつくたびに確認しながら意識する。
絶対に変われるし、昨日より今日、
自分自身を愛おしく大切に感じられることが、じんわりと嬉しい。
自分を応援して信頼するとっても大切な感覚が自己肯定感。
やってみたら案外難しくない感じ。
だからグッバイ!
もうあのフレーズは過去のもの。