お釈迦さまの教えを伝えるお坊様
興善寺の御住職は、お電話の声から予想していたよりずっとお若い方でした。
そして、よく通る優しい声の方でした。
御住職が本堂の内陣と外陣の間の扉を開けて下さいました。
そこには、3メートル近い大日如来様が、オレンジ色の暖かな明かりに照らされて坐っておられました。
興善寺の大日如来様はその大きさにも関わらず、少しも威圧感がありませんでした。
むしろいつも近くで見守って下さる、身近な仏様という感じがしました。
御住職から仏様についてお話しを伺っている時も、ご近所の方らしい女性が、お参りに来られていました。
仏様の前で、熱心に祈っておられるそのお姿を拝見していて、「祈る姿は美しいなぁ」と思いました。
本堂には、他にもたくさんの仏様がいらっしゃいました。
大日如来様の左右には、大きな釈迦如来様と、薬師如来様が、そして、それらの大きな仏様の間には、いくつかの小さな仏様がいらっしゃいました。
小さな仏様は、お顔分からぬ程傷ついた仏様で、丸太の切株に立っておられました。
御住職は「私がこのお寺に入った時は、これらの仏様は、本堂の隅にたてかけられていました。」と言われていました。
「不動堂もご覧になられますか」御住職がそうおっしゃられ、ご案内くださいました。
不動堂の扉を開けると、入口に木くずがいくつも落ちていました。
御住職がそれを片付けながら「キツツキが来るんです。」と苦笑いされてらっしゃいました。
たいへんスラリとした不動明王様でした。不動明王様ですが、全く厳しい感じはありませんでした。陸上選手の様な、細い足首が印象的でした。
「剣が大き過ぎますか?」はにかみながら御住職がおっしゃられました。
盗難で失われていた剣と羂索を御住職が補われたそうですが、仏様に比べて剣が大きいことが気になっておられるようでした。
不動明王様の隣には千手観音様がいらっしゃいました。
「手が何本か失くなったり取れたりして、足元に置かれていました。」と言っておられました。
今では持物も補われ、元のお姿に戻られ、千手観音様も喜んでおられるようでした。
さらに、堂内には四天王様がいらっしゃいました。
荷物の梱包に使う「プチプチ」をお腹のあたりに巻かれ、その上から紐をかけられて、柱に固定されていました。
「山門に置かれていた仏様ですが、傷みが激しくて、何とか修理したいのですが・・・」とおっしゃられていました。
御住職は、どんなに傷んでいる仏様でも、とても大切にされておられることがひしひしと感じられました。
お堂の片隅に、天台宗の僧侶が千日回峰業で使う笠が立て掛けてありました。開く前の蓮の葉を模したという、あの独特の形の笠です。
「千日回峰行をされたのですか」とお聞きすると、
「私は、百日回峰行でしたが」と言われ
「毎日30キロも歩けるものですか」とお聞きすると、
「お参りをするところが何百箇所もあり、お参りしているうちに終わる感じです。」と言われていました。
「たいへんな修行をされたんですね」と言うと、
「世の中でいろいろな仕事をされている方のほうがもっと大変だと思います。」
「実は、千日回峰行は正確には975日です。残りの25日は一生をかけてする修行だという意味です。私もこれからずっと死ぬまでが修行です。」と教えてくださいました。
1時間以上もお付き合い頂き、御住職のお側で、そのお人柄に触れさせて頂きました。
お釈迦様の教えにある仏法僧の僧とは、こういうお坊様のことなんだと思いました。
仏様の説かれた教えを、言葉ではなくその人の存在で、伝えて下さるお坊様。
私たちは縁あってそういう僧にめぐり逢い、帰依するのだと思いました。
お坊様とわれわれの違いは、何を目的にしているかだと思います。われわれはよく日々の楽しさや安楽さを求めて行動を起こしています。しかし、お坊様はそういったことではなく自らの心の安らぎと同様に周りの人たちの安らぎを手助けすることを目的にされています。
お坊様の修行が厳しいのは、楽しさや安楽さを捨てきれない普通の人間のままでは、人助けは出来ないからだと思いました。
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興善寺について
興善寺さんは、大阪府の一番南にある岬町にある天台宗のお寺です。
平安時代に作られた、文徳天皇の勅願寺なので本堂の屋根は二層になっています。
戦国時代に多くの伽藍が焼失し、今の本堂は江戸時代の元禄元年に再建されています。
軒丸瓦は三種類の梵字などが描かれています。
本堂の前には2基の灯籠があります。実は、興善寺の隣の神社のお祭りでお神輿が本堂の前を周る際、よく倒されるそうで、1366年の年号が刻まれた古い灯籠は庭の端に移動しています。もう1基の本堂前の灯籠は、1839年のものです。
本堂の西に鐘楼があります。現在の鐘は近隣のお寺から移されたもので、除夜の鐘の他、終戦記念日、広島原爆の日、長崎原爆の日、阪神淡路大震災の日に撞かれるそうです。
本堂、山門共に2018年の2つの台風により大きな被害を受け、本堂の雨漏りも見られたため、修復事業の為のクラウドファンディングを行っておられます。
興善寺の仏様
本尊の胎蔵界大日如来様は288センチ平安時代末期の作です。地名にちなんで「みさき大仏」と呼ばれています。重要文化財です。
左脇侍の釈迦如来様、右脇侍の薬師如来様は、共に139センチで平安時代末期の作です。共に重要文化財です。
大正時代の修理の際、女性を含む多くの結縁者名が書かれた墨書が胎内から見つかっています。
もともと別々のお堂に祀られていた仏様を本堂に集めているので、やや窮屈な感じがします。特に大日如来様は頭が天井につかえるため、台座の下の床板を取っています。
三体とも再来年には京都か奈良の美術院で修理の予定だそうです。そうなるとしばらくはお戻りになられません。拝観の際はご注意下さい。
アクセス
南海電鉄多奈川線多奈川駅下車、コミュニティバスに乗車、極楽橋下車、徒歩10分です。
自動車の時は阪和自動車道の泉南インターでおり、第二阪和国道、府道752号、府道65号経由です。