涌泉寺 大威徳明王様が乗られている牛は!
涌泉寺さんは、大阪府能勢町にあります。能勢町は大阪で最も北にあり、山々の間に田んぼが広がる、のんびりしたところです。
今は日蓮宗のお寺ですが、以前は、真言宗のお寺でした。
大威徳明王様は明王堂のお厨子の中に入っておられました。上半身が見えていて、乗っておられる牛も、お顔だけが見えていました。お体は細身ですが、6つのお顔は、平安の古仏らしく彫りの深い独特の顔をされていました。
通常、大威徳明王は五大明王の一尊としてお祀りされることが多く、涌泉寺さんのように単独で祀られていることは珍しいようです。6つの顔6つの手6つの足を持ち、牛に乗っています。
なので、農業のために牛を使うことが多かった時代、涌泉寺さんは、農家が飼っていた大切な牛の健康を願う守り神「牛堂さん」と呼ばれ、多くの人々から信仰を集めていたそうです。
以前は、遠く京都府や兵庫県からも、何日もかけて、着飾った牛を連れたお参りの人がたくさん来られ、1月8日のご縁日には、お店が出るほど賑わったそうです。
涌泉寺の大威徳明王様は、平成13年から平成14年にかけての修理で、従来、平安時代後期と言われていた造立時期が、実は平安時代前期までさかのぼることが分かりました。
高さ102センチメートル。大阪府下では最も大きい大威徳明王様で、能勢町の重要文化財に指定されています。
私は、そんな貴重な仏様なら、乗っておられる牛も、当然同じ時代に作られたのだろうと、勝手に思っていました。しかし、御住職は意外なことをおっしゃいました。
「前の牛が虫食いで駄目になった時、お寺が貧しかったので、新しい牛を作ることができず、何処かの天神さんから牛を貰ってきた。当然サイズが合わず、大威徳明王様が乗るには大き過ぎた。仕方ないので、牛の脇腹を削って乗ってもらった。」
「え?」、と思いました。
更におっしゃられるには、「天神さんから連れてきた牛なので、和牛だった。大威徳明王様が乗られているのは水牛と、決まっている。水牛と和牛では角が違う。ずっと我慢していたが、修理の時に水牛の角に直してもらった。」
まさか天神さんの牛だったとは!
神社に祀られていた牛の上に乗っておられたとは、まさに、神仏習合だったのです。
しかし、まあ都合よく木製の牛があったものです。(天神さんに祀られている牛は、金属製や石の物が多いような気がします)
大威徳明王様にぴったりのあどけない目をした牛なので、教えて頂かなかったら誰も分からないと思います。いつか、全身を見てみたい気がしました。
────────────────
御住職はたいへん気さくで、お話好きな方です。身延山でされた荒行のお話をして下さいました。
睡眠時間が一日に2時間30分、お粥と野菜だけのお味噌汁を一日2回食べ、3時間ごとにお水をかぶり、後はひたすらお経を唱える。これを冬の11月から2月にかけての100日間続けるのだそうです。
私など、たった一日でも無理ですが、ご住職は今までにこれを5回も満行されているそうです。
他にも亡くなられた副住職だった奥様のお話や、新しく住職を継がれる息子さんのお話、日蓮宗の須彌壇に祀られる仏様のお話や、法華経のお話も伺いました。
いろんなお寺にお邪魔していると、宗派ごとに仏様のお祀りの仕方や、仏教の教義の中でも、特に大切にされておられる教えが異なっていることが分かります。
勿論、どっちが良くて、どっちが間違っているなどと、だいそれたことを言う気は毛頭ありません。
私は、特定の宗派の信仰は持っていません。ただいくつかの仏様のお力を信じているだけです。
実は、どの宗派を信じているか、どのお寺の何という名前の仏様を信じているかは、あまり重要だとは思っていません。
それよりも信仰を持つこと、信じることでその人がどれだけ幸せになったかの方がずっと重要だと思えますし、興味があります。
だから、人の幸せに寄与するものなら、どの宗教や宗派であってもいい気がします。
今回、ご住職のお話を聞きき、気さくなお人柄に触れさせて頂き、改めてそんなことを思いました。
今まで、日蓮宗のお寺にお邪魔することが少なかったので、今回お話が聞けて、日蓮宗のことが少し分かったような気がしました。