現光寺  「仏様」と「仏像」

 木津川市の秘宝・秘仏特別公開の日に伺いました。
 木津川市は名前の通り、市の中を木津川がゆったりと流れています。子どもが小さかった頃、家族で木津川へ泳ぎに行って、大きな犬にお弁当を食べられ、飼い主の方に、お詫びにたくさんの食品を頂いて、却って恐縮した想い出があります。

 木津川市のある、南山城(京都府南部)には、たくさんの有名なお寺が有り、国宝の仏様がおられますが、中でも、現光寺の十一面観音様は、私が一番お会いしたかった仏様でした。

 現光寺の十一面観音様は決して秘仏ではありません。管理をされている海住山寺さんに連絡すれば、団体ならば、拝観できます。
 ですが、個人での拝観は、この11月の特別公開を待たねばならず、さらに現光寺さんは開帳期間が短いので予定も合わず、お会いするのに2年かかりました。

 (こういった例は多いようです。秘仏ではないけど、個人の拝観者に対応するだけの人手がお寺にないために、通常公開できないのです。現光寺を管理されている海住山寺さんでも、公開の度に、アルバイトの学生さんを探さなあかんので大変と言われていました。)

 たくさんの方が現光寺の十一面観音様を美仏と言われていますが、初めてお会いした時、私も「うあー。なんて美しい」と、声を上げて驚きました。

 金箔がよく残っていて、瓔珞や冠がよく似合っていました。お寺が無住になってからは、近くの庄屋さんの家に厨子に入れて置いてあったようで、秘仏みたいな状態だったから金箔が残ったのかなと、案内の方が言われていました。
 衣の彫りもとてもシャープで美しく、見とれてしまいます。

 もうこれで完成している。じっと見ていると、そういう感じが強くします。(一流の仏師が造られたのでしょうから当たり前なのですが。)

 昔、絵画は何処まで描いたら完成なのか?という問いに、誰かがこう答えていました。「それ以上、描き足す所がなくなった時。」

 現光寺の十一面観音様もそんな気がしました。もう何も変えなくて良いと。

 以前の特別公開では長い列が出来、狭い収蔵庫の中にたくさんの方が入り、ギュウギュウ詰めで見学していた様ですが、私がお邪魔した時は、個人または2〜3人連れの方が時々来られるだけでしたので、隅の方で、長いことおらしてもらいました。

 訪れる前に見たポスターの十一面観音様は、困っている感じで写っていたのですが、お会いしてみるとそんなことはありませんでした。
 
 時々、仏様と二人きりになったりしながら、長い時間、観音様と一緒にいると、観音様の印象がゆっくり変わって、どんどん柔らかな仏様になって行く気がしました。

 ところで、仏様が、博物館へ貸し出される時、その魂を抜く法要をします。魂を抜かれた仏様は、ただの仏像になります。(もう、お参りは出来ません。博物館では鑑賞か、見学か、見物が出来るだけです。だから、博物館には賽銭箱が無いんですよね。)

 現光寺の十一面観音様は、お寺の収蔵庫にいらっしゃるので勿論、魂の入った仏様です。

 この十一面観音様はとにかくきれいなので、テレビなどで取り上げられることが多いのです。

 先日、その収蔵庫の中にテレビ局が入って、強い光を当ててテレビカメラで撮ったりする様子を、インターネットで見ましたが、仏様には可愛そうな気がしました。

 「アイドルにあらず!」と、言っておられるのが聞こえてきそうでした。 

 要するに、お寺の仏様が、物のように扱われることに、私は、違和感を感じたのだと思います。

 それから、現光寺の観音様には博物館への寄託の話があったそうですが、住民の方々は、地域でお守りする道を選び、費用を出し合って収蔵庫を造られ、観音様をお祀りしたそうです。

 現光寺の十一面観音様は、幸い地域の方の仏様として残りました。もしも、博物館へ行っていたら、しまい込まれて、誰も見られない仏像になってしまったかもしれません。

 でも、これからは博物館へ行く仏様が増える気がして心配です。

 博物館に行かれた仏像は、どんなに美しい仏像でも、私たちを救うことはできなくなります。

 仏様にはいつまでも、私たちが手を合わせ、祈る仏様でいて欲しいと思います。