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ある ない ⇒ 感謝

コロナ前のある時、実家の近くのチェーン店でない地元の回転寿司屋さんに行った時のことです。

お客さんは一杯なのに、何故かお寿司が殆ど流れて来ませんでした。

何かのトラブルなんでしょうが、何も乗っていないレーンが動いているのを見ながら、今まで、レーンの上に選ぶのに困るほどいろんな種類のお寿司が「ある」ことが当たり前になっていたことに気づきました。

レーンにお寿司の皿が「ない」ことを経験して初めて、レーンの上にたくさんのお皿が乗っているのが当たり前と思っていたことに気づきました。

人間は「ある」ことに慣れてしまうと、「ない」ことには気づきにくいんですね。

これは身の回りの出来事から「ある」という思い込みに気づいた例ですが、無意識にいつも「ある」と思っていることを、意識的にそうではないと想像することもできます。

例えば私はよく家族の誰かがいなくなった時のことを想像します。

もしも子どもや女房が死んだり、遠くに行ったりして、ここにいなかったらと想像してみるのです。

すると、今ここに一緒にいる時間がとても貴重で、ありがたく思えてきます。

また先日は、森の中を散歩をしながらここがあまり雨の降らないところで、草木が育ちにくい所だったらと、想像してみました。

石ころとか砂だらけの砂漠のような気候だったらと想像してみたのです。

すると、身の回りにあるありふれた木や草が、信じられないほど多様で豊かであることに気が付きました。

いつも「ある」が当たり前になっているものを、意識して「ない」ことを想像してみることで、ありふれた風景が普段とは全く違って見えます。

そして、なぜだかわかりませんが、その驚きは「ありがたい」という感情につながっていきます。

家族がいてくれてありがたい、これほど豊かな花や草に囲まれて暮らせてありがたい。

そういった感情を感謝と呼ぶのかもしれません。

この感情は心をとても温かく穏やかにしてくれます。

子どもの頃から、感謝して生きなさいということを、周囲の大人から言われ、本で読んだりしましたが、

なんだかその度ごとにわざとらしく感じていました。

もしかするとそれは、感謝というものが「する」ことではなくて、本来自然に湧き上がってくる感情だからかもしれません。

緊急事態になって初めて自分が恵まれた状態であったことに気づくのを待たなくても、

普段から「ある」「ない」という意識的な心の使い方を練習しておくことで、感謝の感情が湧き上がりやすくしておくのは、心を穏やかに保つための良い方法かもしれないなと思いました。