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Photo by
noranekopochi
僧侶として目指す仏事とは
私が僧侶になって間もない頃、先輩の僧侶に同行して葬儀にいった時の話です。
その葬儀は、若くしてお子様を亡くしたご家族でした。
当時、私が同行していた法事・葬儀の中でも特に家族の悲しみが深く、いつも以上に緊張感を持って式場に向かいました。
1日目の通夜が終わり、式場で手を合わせて帰ろうとした時に、参列していた20歳くらいの男の子が私の元へ来て話しかけました。
男の子は故人様の親戚で、いまは大阪で働いていると言いました。そして、
「この世は腐っていると思うんですけど、そう思いませんか。」
と突如と尋ねました。
私は不意打ちの質問に何と答えていいのか戸惑っていたところ、
見かねた先輩の僧侶が「そうですね、お経ではこの世の中は五濁悪世と説かれていまして・・・」とフォローしてくれました。
その後、先輩から
「話をよく聞き、返答するなら僧侶としてすべて仏法で返していかなければいけません。」
と教えられたことを覚えています。
2日目に葬儀を終えて、出棺までの間に昨日と同じ男の子から再度話しかけられました。
「彼は死んだらどこにいくんですか?」
「お浄土とはどういうところですか?」
矢継ぎ早に質問をされましたが、ひとつひとつを言われたように返答していきました。
彼の話を聞いていると日々の生活や仕事で悩んでおり、その中で親戚の死に衝撃を受け、色々と思うことがあったそうです。
通夜や葬儀を縁として仏法に触れる機会となったのでしょう。彼のような悩みを抱えている人が日本中に多くいるのだろうと。
そしてその人たちにこそ、お寺や仏法が必要になるのではないかと強く思ったのを覚えています。
僧侶としてどのような仏事を目指していくのか、どのように僧侶として歩んでいくのか考えるきっかけとなった葬儀でした。