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2_05_”社内の親友”という考え方
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最後までお読みいただけると嬉しいです。
あなたは、同じ組織の中に、”親友”と呼べる人は居ますか?
「はい」と答えたあなたは、今後、ビジネスマンとして仕事を進めていく中で、心の免疫システムを全く持ちあわせていない状況下で、悲しい病に冒されることでしょう。なぜなら、
ぶっちゃけ!
「親友だと思う気持ちと、仕事として関わるときに形成する人間関係は、全く別の次元にあり、同じ次元で考えていると、とんでもない悲しい気持ちになったり、とんでもなく裏切られた気持ちになったり、するからです!」
冒頭から残念なお話しをすることになります。ごめんなさい。
やはり、会社や団体など、自分が所属する組織の中に、親友と呼べる人は居ないし、居てはいけないし、そういう関係を作るべきではないと思います。これは、約20年間過ごした、私のビジネスマン人生を振り返っての率直な感想です。基本的には。
もちろん、人間的に素晴らしいと思える人も居ます。私と同じ技術者として、卓越したスキルを有し、尊敬に値する人も居ます。上司として憧れを抱くような人も居ます。後輩として頼もしいと思えるような人も居ます。様々な意味で、素敵だなと思ったり、大好きだと思える人はたくさん居ます。
しかし、「親友と呼べる人が居るか?」と言われると、残念ながら、答えはNOです。もちろん、年齢の差や入社年度の違いから、”親友になる”とは考えにくい場合もありますが、そういうことは一旦置いといて、ここでは、そのくらい親密な関係を築くことができるかという意味だと考えてもらうとしても、やはり会社の中に親友と呼べる人は居ません。
では、なぜ答えはNOなのか?
私は、それを紐解く鍵は「利害関係」にあると思っています。相手がどのような人か?ということではなく、どのような立場の人か?とか、どのような役割を担っている人か?ということが、相手との関係性を語る上で、大きく影響する要因であると考えています。
みなさんが親友と呼べる人のほとんど、いや全員と言っても良いかもしれませんが、そういう人は、学生時代に知り合い、仲良くなって、その結果、今、親友と呼べる関係にある人ではありませんか?
その学生のときのことを思い出してください。
学業の成績も、スポーツの能力も、あらゆる面で差があり、これについては自分のほうが優れているとか、あれについては彼・彼女のほうが優れているとか、そういうことはあったかもしれませんが、立場としては、同級生だったり、年齢が違っていても同じ部活の先輩・後輩だったり、ただ純粋に「仲間」という関係くらいしか無かったと思います。言いたいことを言い合って、共感したり対立したり、結束を強めたり喧嘩したり、一緒に居て居心地が良ければずっと仲間でいれば良いし、なんとなく合わないと思えば自然に離れて疎遠になるだろうし。つまり、相手とどのような関係性を築こうとするかは100%自分の自由意志だったと思います。
それが社会人になると、そして、特に仕事で絡んでしまうと状況は一変します。
なんとなく会話が合わない、とか、なんとなく波長が合わないというレベルから、理由はどうあれ、もう嫌いで嫌いで仕方がないレベルまで、その程度は様々あると思いますが、どのくらいのレベルであるかに関係なく、その人と友好的な関係を作らなければならないときは、自分の意思に関係なくそうしなければならないし、逆に、なんとなく雰囲気が好きだったり、尊敬して憧れて仕方がないと思っていたとしても、その人と対立せざるを得ない場合は、これまた、自分の意思に関係なく、そうすることを強いられることになることでしょう。
なぜそうなってしまうのでしょうか。
それは、学生の頃とは異なり、自分も含め、人それぞれに立場があり、自分の意思と関係あるかないかにかかわらず、その立場における立ち居振る舞いを求められるからです。
つまり、それが、立場の違いから発生し、存在し得る「社内の利害関係」というものなのです。
以前は、尊敬していた自分の上司が、違う部署に異動になり、それぞれ違う立場で仕事をすることになった、ということはある一定以上の人数を抱える企業であれば極普通にあることです。そこで、例えば、とある仕事をその部署と共同で進めることとなったため、元上司と再び一緒に仕事をすることになったとします。
終始順調に事が運び、何事もなく完了できればそれで良いのかもしれませんが、そういう案件ばかりではないでしょう。取り扱う課題によっては、そもそも対立している問題に対応する必要があるなど、難しい場合も多々あります。そういう場合は、なかなか意見が一致することもないでしょうし、交渉も難航し、歩み寄りも難しいということに直面するかもしれません。そうなると、相手が、尊敬していた以前の上司であったとしても、こちらの主張を通すことを最優先に考えなければならないこともあると思います。もちろん、その元上司は、今でも尊敬する大好きな人です。しかし、言うべきことは言い、やるべきことはやらなければなりません。そこには、自分自身の個人的な感情や意思が介在する余地はありません。
なぜそうしなければならないのか。
それは、責任を持って仕事をする以上、自分の意思とは関係のない次元で、人それぞれに「立場」というものがあり、それを全うしなければならないからです。そして、立場がある以上、利害関係を意識しなければならないからです。先ほどの元上司の例では、利害とは、部署にとっての利害です。もちろん、自分と上司との利害ではなく、ましてや、個人的な自分と個人的な上司との利害などでは全くありません。
これは、会社という組織に身を置いている以上仕方のないことですし、何をどう叫んだところで、何も変わりません。
しかし、だからと言って、その状況を憂うだけで終わってほしくはありません。
そんな難しい利害関係の中でも、人間同士の関係として、個人的な、自分の自由意思のレベルで親友と呼べる関係をできる限りたくさん作って欲しいと思います。
仕事があって、立場があって、利害関係があるから、限界があることも承知です。しかし、そこは、あくまでも仕事上の関係だと割り切って、ビジネスライクにやり過ごせば良いじゃないですか。それこそ、感情的になることなく、物事を進めることができるビジネスマンなら、わけ無いことだと思います。そんな当たり前のことで、大切な自分の自由意思を無いものとせざるを得ないのはあまりにも残念です。
お互いに立場があって、利害関係があって、自分の意思より優先せざるを得ないことがあることを踏まえたうえで、あるいは、そういうことを超越したところで、信頼し合える関係を是非作ってほしいと思います。なぜなら、そういう気持ちを少しでも持っておかないと、誰かれ構わず、まず「疑い」とか「不信」とか「欺瞞」とか「駆け引き」などが先に立って、どんどん素直な自分が失われるような、そんな嫌な気持ちになってしまうからです。
真の親友とは次元が全く違うかもしれませんので、同じように考えることが難しいかもしれません。もし、そう感じたら、みなさんは、みなさんなりの”社内における親友の定義”を作って、あてはめてみるというのも良いと思います。
そして、”社内における親友”と呼べるような人が、少しでも居ればいいなと思います。
今、私にも、”社内の親友”と呼べるような人が何人か居ます。しかし、その人々が、”利害関係”の対立から、交渉しなければならない相手になったことも、対立する中、協議しなければならなくなったこともあります。しかし、そんなことがあろうと無かろうと、やっぱり仲が良い。お互いを信頼してるし、やっぱり、好きなんですね。その人たちが。
だから、「お互いの立場を十分に理解し、仕事をしていく以上、そこに利害関係があるのはあたり前。それはそれとして、でも、一人の人間として、親友と呼べる関係を築けるというのが理想。」と考えて、善き人間関係を作っていくことが素晴らしいのだと思います。
その前提として、”利害関係”があるが故に、違う立場から、難問に対峙しなければならないこともある、ということを、お互いが認識さえしていれば、是非とも”社内の親友”と呼べる人を作っていただきたいと思います。
最終的には、冒頭のお話しの内容とは正反対のお話しをしていますが、冒頭のようにならないためにも、自分をしっかりと持って、相手を見極めて、素晴らしい信頼関係を作っていただきたい、ということだと思って、ご勘弁いただきたい。
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