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I型はそんなに辛いことか? 1章
Ⅰ型糖尿病に罹って約6年間で
感じたこと考えたことを書きました。
とても長いです。
病気になった経緯と 治療法について。
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2019年 2月18日(月)
私は6年ぶりに入院した。血糖値を指先から血を出さずに測れる装置 リブレを試しに使ってみるために。
今回の入院はピチという綺麗なぬいぐるみを連れてきた。一ヶ月前の来院のときに入院日を決めていたので 本3冊、Mac1台などの娯楽品も持ってきた。(↓カーテンで美白効果のあるピチ)
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2012年 8月28日(火)
中1の夏休みが明けてすぐのころ。地元の大きな病院の小児科に行ってレントゲンや採血、採尿をした。「今すぐ入院してください。」検査結果は陽性だった。
夏休み後半あたりから1日で7回以上もトイレに行き、麦茶を大量に飲み干した。私自身は夏だからこんなに喉が乾くのだと思っていた。3kg痩せたのはロングブレスダイエット(死語)をしていたから。ダルいのは塾の夏期講習の課題が膨大だからだと。
そんな私でも違和感を持ったのは「しばらくしても尿が泡立っていた」点。『みんなの家庭の医学』を見ていたので 糖尿病のサインだと知っていた。母に訴えると夏休み明けに病院に行くことになった。
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緊急入院だったので気づいたらベッドの上だった。いつもぬいぐるみのライムに抱きついて寝ていたのに今日はいない。母に「ライムちゃんと寝たい」と言うと「あんな汚いぬいぐるみはやめなさい」と却下された。(手前がライム)
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2019年2月19日(火)
私の右隣のベッドの人は6年前の私と同じく『I型糖尿病』と診断されていた。「治らないんですか?」その質問は私の母もしていた。しかし、今のところは一生付き合うしかない。今すぐ死にはしないがすぐには治らない病気。
余命宣告はされない。しかしインスリンが体内に補充されなければ3〜4日で死ぬと言われる。20歳未満であれば児童福祉法により小児慢性特定疾病ということで月1万の医療費で済む。
私がリブレという装置を入院してまで19歳で試したのはこの助成が20歳になると切れてしまうから。20歳以降は「指定難病」扱いはされていないので自己負担になる。インスリンは一生打っていくのにね。
生活習慣病の糖尿病はⅡ型糖尿病と呼ばれ、今回のケースとは違う特徴があります。詳しくはこのページを。これからの話はここに書いてあることを前提に進みます。糖尿病情報センター
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2012年 8月29日(水)
膵臓(すいぞう)のβ細胞が壊れた。ウイルス感染や腸内細菌のせいではないかと研究はされているが、はっきりとした原因は未だ不明。
それでも私は 毎日冷凍パスタで済ませていた昼ご飯を思い返していた。野菜は摂らずにわずか4種類のパスタを変わりがわり食べていた日々。
原因ではないらしいが、この食生活を長く続けてはまずいと思っていた。私は野菜も好きだが塾の夏期講習の課題が重過ぎてなるべく食事の時間を減らして頑張っていた。初めて深夜の2時まで起き始めた時期だ。連立方程式の問題が分かるまでひたすら解こうとしていた。食事を全く気にかけていなかった。
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今できることは体内で枯渇したインスリンを外から摂取すること。そして血糖値を測定して自己管理ノートに記録すること。
私のしなければならないインスリン注射には2種類ある。使う注射針は献血のときの針よりも細い。
1つ目は食事で得た糖分をエネルギーに変えるための超速効型。私はノボラピットを使うことになった。打つと約4時間で急速に血糖値を下げる。
2つ目はレベミル。持効型でまる1日効く。基礎代謝のためのエネルギー変換を助ける。
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血糖測定はグルテストNEOスーパーとジェントレットで行う。ジェントレットに蚊と同じ太さの針をつける。指先に当ててボタンを押すと指先から血が出る。小さいセンサーに吸い込ませると血糖値が表示される仕組み。
針は同じ部位にばかり刺すと肌が硬くなったり凹んだりする。だから右腹に刺したら今度は左腹、中指に刺したら今度は薬指としないと針がよく刺さらなくなってしまう。なので「さっきはどこに刺した?」と看護師のお姉さんに毎回きかれた。そして消毒綿も忘れずに。
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