タイトル

I型はそんなに辛いことか? 4章

見えないものを理解するということ。

理解を深めるということ。


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2012年 9月26日(水) 

「カリブに眠る 夢たち 目を覚ませ 時が来た 永遠の眠りの中 きらめくエメラルド  僕はゆく  何よりも  君の夢  見つけたい  ときめく冒険の旅  夢の海へ」


    10月25日(木)に中学校の合唱コンクールがある。それまで1ヶ月。楽譜は受け取っていたが、クラスのみんなとの音合わせは夏休み明けすぐに入院していたので全くしていなかった。


    病院にはシャワールームがある。夏の蒸し暑い湿気を換気するために少し開かれた窓。近くの青々とした森が見える。その森へ届くように『カリブ 夢の旅』を歌っていた。かなりの大音量で歌っていたので看護師さんからも気付かれていた。

    小児科の子どもたちは小児科の外へ出ることは一切できない。病院附属のコンビニに行くこともできない。大きな透明な扉が出入り口にある。ここを自由に出入りできるのは医療従事者と12歳以上の親族のみ。私には弟がいるが早生まれということもありまだ10歳だ。母と父と手助けにやってきた婆や爺としか会えなかった。

    まだ病院の外へ出たことがない2歳児。点滴を連れ歩くおませな5歳児ガールズ。沖縄から足の手術のために関東へやってきた甚平を愛用する5歳児。


    入院中はずっとこの子たちと遊んでいた。1番の暇つぶしだった。病院の外がどんな世界かを知らない2歳児の肌は真っ白だった。私が腕をブンブン振ってみせると2歳児も腕をキャアキャアしながらブンブン回した。何にでも興味を持って真似をする彼は体のどこが悪いのだろう

   「毎日の血糖測定とインスリン注射 忘れないようにね。じゃあ、お大事に。」退院の日、気候は肌寒くなっていた。上着を一枚羽織った。もう秋になろうとしている木々を見上げて、本当に地球に季節があるのだと実感した。


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2018年7月22日(日)

   「まだ18歳?えらいね。私の弟もI型糖尿病なんだけど『なんで僕がなったの!?』って自暴自棄になってグレてしまっていて…」


    女子大に通う女性が引きこもりの弟さんについて話すと、グループの一同は 精神的な痛みを本人がいないにも関わらずに感じた。


   その弟さんは私と同じくらいの年齢だという。I型糖尿病の小学生〜高校生は『小児糖尿病サマーキャンプ』に参加できる。3〜7日間 I型糖尿病の患者の子どもたちだけで インスリン注射や血糖測定などの糖尿病の知識・技術を身につけ、ともに頑張る仲間を見つけられるキャンプがある。


    「高校を卒業したらそういう集まりってないんですかね?」理系大学院生が疑問を呈した。「高校を卒業してからでもそういう繋がりって必要じゃないですか?」


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2019年2月22日(金)

    左隣のベッドの人はインスリンポンプを使っている。今日は昼から外泊(入院で学んだ薬などを日常でも同じように使えるかの試験)をするようだ。


    彼女は私より知識が豊富に見える。カーボカウント(とる糖質量を厳密に計算すること)を毎日している。私は目分量で糖質と必要なインスリンの量を決めている。いちいちカーボカウントするのは疲れる。


  私の今回の入院は リブレ のためだった。たった1週間しか入院できないけれど、リブレの良さが分かってきた。


   リブレはオセロより少し薄い板だ。防水加工でそのままお風呂に入れる。リブレは腕につける。指先より血糖値の精度は低いが24時間の記録を波型で見ることができる。


    これによって暁現象(夜中に何もしていないのに低血糖になり朝は高血糖になること。)が頻繁に起こっていることがわかった。朝ご飯前のインスリンと夜ご飯前のインスリンなら夜ご飯前のインスリンの方が効きやすい。朝と同じ感覚で打つと血糖値が下がりすぎてしまう。



   夜間の低血糖はインスリンポンプでなければ完全な対策はできない。インスリンポンプがなくてもできる対策法はなるべく早く朝ご飯を食べること。いつもは通学時間が長いこともあり朝ご飯は6:00なので最善は尽くしている。


   インスリンポンプを若いうちから使っていても20歳で小児慢性特定疾患の助成が切れることによってインスリン注射に戻るひとだっている。まだ私はインスリンポンプに切り替えられない。同じようにポンプに変えた方が血糖値は安定するのに資金面によって踏み切れない患者は多くいる。


   膵臓(すいぞう)が壊れているなら正常な臓器を移植すればいいのだろうか。膵臓のβ細胞だけを移植する研究もある。豚での実験もある。(糖尿病ネットワーク)

  「明日は退院です」と主治医が告げる。標準体温が高めな私の体温はベッドを温かく保っていた。ずっとぬくぬくとした環境は嫌いだ。私が退院してもこのベッドにⅠ型かⅡ型の患者がまた入院してくる。治すためというよりこれから生きるために


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2012年10月3日(水)

  「私はⅠ型糖尿病という病気になりました。毎日ご飯前に血糖測定とインスリン注射をします。たまに低血糖になって具合が悪くなるときがあります。授業中にブドウ糖を食べることもあるかもしれませんが、病気のためです。これからもよろしくお願いします。」

    

    1年4組のクラスのみんなへと手紙を読んだ。なぜ突然入院することになったのか、これからどう付き合ってほしいのか。何が今までと変わるのか。母に何度も遂行してもらった慣れない言葉。


    それからみんな低血糖にならないようにと度々お菓子をくれるようになった。こんなに食べれない。入院中に筋肉が衰えていったり、糖尿病のせいて痩せたりして3〜4kg痩せていたがまたすぐに太った。お菓子のせいで余分に太った。

2019年2月23日(土)

    糖尿病の治療プログラムは通常2週間かかるが、合併症の心配がないということで1週間で退院だ。

    

   合併症とは神経障害(し)、網膜障害(め)、腎機能障害(じ)と しめじと呼ばれるものが代表的。これらにならないようにインスリンを補充するのだ。

   これからリブレを左腕につける。2月18日(月)医者に病院でつけてもらったもの正確にはリブレ Proというもの。もう外した。

50万円するやつも外した。

    

    今日は自分でリブレに交換する。オセロの白面に見えるので  オセロ+リブレ=「セリブちゃん」と今名付けた。


    このリーダーはグルコースNEOアルファと同じようにジェントレットの針で刺して出てきた血を吸引する機能もある。腕と指先の血糖値を一元化して管理できる。しかし予備としてアルファは持ち歩く。

    暖かい日差しと冷たい風。眩しい空と素っ裸の木々。家に帰るとティアズマガジンが置いてあった。2月17日(日)はコミティア127に一般参加していた。東京ビッグサイトを走り回って手に入れた戦利品。サークルの先輩の作った500円の缶バッジだけしか病院に持ち込めなかった。これからイラスト集やポストカードをじっくり眺めようと思う。

    春休みが明ければ通学(登山)をする。高低差の激しい多摩美(山)でいちいち本部棟の保健室に下山してインスリン注射をするのは重労働。なのでだいたい情報デザイン棟の3Fの女子トイレで注射している。他にはレクチャーホールのBホールの向かい側のトイレ、びけんの左のトイレが多い。


   高校でも移動教室が多かったので 5組の前のトイレや、CG室近くのトイレ、油画スペースの手前のトイレでよく注射していた。


    保健室よりもトイレの方がどこにでもあるんで楽。中学時代は過剰に周りから心配されていた気がしていた。高校からは1人でどうにかなると考えたのでどんなに仲のいい友達にも伝えていなかった。

    全4章のnoteを 以ちまして私の病気についてのご挨拶とさせていただきます。これからもどうぞよろしくお願いします。




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