【関西ハイキング】岡山後楽園 🌾動画あり
風光明媚な大名庭園!日本三名園のひとつ❗️
岡山藩2代目藩主・池田綱政(つなまさ)が自ら憩いの場として築いた大庭園。1952年には歴史的文化遺産として“特別名勝”に指定され、「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」では三つ星の評価を得ています❣️
場所:岡山県岡山市北区後楽園1-5
延養亭(えんようてい)
藩主の居間で、園内で最も重要な建物でしたが、戦災で焼失し、昭和三十五年に当時第一級の木材と技術で築庭当時の間取りに復元されました。 園内外の景勝が一望できるように作られており、歴代藩主もここから眺めました。
花葉の池(かようのいけ)
この池には、大輪の白い花を咲かせる蓮の「一天四海(いってんしかい)」(通称・大名蓮)が夏に見頃となります。 池には、園内の曲水と沢の池から滝の石組の中に巧みに導かれた水が美しく流れ落ちてきます。
御舟入跡(おふないりあと)
藩主が城から舟で渡ってきた時の舟着場の跡で、舟溜まりと園内側の土手に御成御門(おなりごもん)まで続く雁木(がんぎ、階段)がありました。 ここから出入りできたのは、藩主と藩主の特別な許しを得た者だけ。
唯心山(ゆいしんざん)
唯心山は池田綱政(いけだつなまさ)の子、継政(つぐまさ)の時に築かれ、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化しました。 山腹には唯心堂(ゆいしんどう)があり、斜面には石組に合わせて、ツツジやサツキが植えられ、季節には紅白の花で彩られます。
井田(せいでん)
昔は園内に広く田畑が作られていましたが、今は井田だけがそのなごりを伝えています。 井田とは中国周時代の田租法で、本園では幕末に田畑の一部を井田の形に作りました。 毎年六月の第二日曜日には、お田植え祭を行っています。
慈眼堂(じげんどう)
池田綱政(いけだつなまさ)が元禄十年(一六九七年)に池田家と領民の繁栄を願って建立し、観音像を祀りました。今は、空堂となっています。 境内(けいだい)には、花崗岩(かこうがん)を三十六個に割って組み上げた烏帽子岩(えぼしいわ)、門、板張の腰掛などが残っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?