コロブチカの流れる街(ショートショート)

「風邪ですね、薬を出しておきます」
「ありがとうございますテトロ先生。ただ……」
「何でしょうか?」
「この薬は効き目があまりよくなくて……他の薬はないでしょうか?」
「イーストタウンの物資不足は深刻なもので……心苦しいですが、こんな薬しかないのです」
「そうですよね……では、ありがとうございました」
「お大事にしてください。また何かありましたらお越しください」
これ以上の処置はできないことを知りつつも、つい毎度のことのように言ってしまう。言い換えれば、『何もできないが、頼りにしてほしい』という、精一杯の見栄だ。
最後の患者が帰るのを確認すると、家路につくことにした。診療所の外は雪が降っている。車で来なかったことを少しだけ後悔した。でもガソリンは高騰しているから、徒歩通勤はやむを得ない。
街を歩くと、ストリートミュージシャンがコロブチカを演奏している。お金がないから、音楽ぐらいしか娯楽がないのだ。
街を出ると、レンガ造りの大きな壁が見えた。
――この壁さえなければ――
壁を見るたび、いつも思う。

ここは、もともと一つの国だった。あるとき、西と東のお偉いさんが喧嘩したせいで、壁が造られた。西はウエストタウン、僕が住む東はイーストタウンと呼ばれている。この壁があるせいで、貿易は難航し、物資不足が深刻になった。そのせいで僕の診療所には薬が入ってこなくなり、まともな治療ができないでいる。
人を救うために医師になったのに、何もできない自分に嫌気がさす――そんな日々の繰り返しだ。

「おかえりパパ」
家に入ると、娘のリズが抱きついた。
「具合はもう大丈夫なのかい?」
「うん」と答えた直後に、リズは咳をした。
「大丈夫じゃないじゃないか」
真剣な顔でそう言うと、リズは頬を膨らます。怒っているつもりなのだろう。
すると、妻のステラがやって来た。
「リズはね、学校に行けないから、ずっと退屈しているのよ」
「わかっているさ。でも、医師として見過ごすわけにはいかないな」
「相変わらずテトロは頑固ね」
リズは風邪が治らないから、長い間学校を休んでいる。
「パパ、今日はあそこに連れてって」
「夜景のことかい?」
「うん、もう家にいるの飽きた」
リズが元気なときは、毎晩夜景を見に連れて行ったことを思い出した。
「いいじゃないの、少しくらい。ずっと家にいたらかわいそうよ」
確かに、ステラの言っていることは一理ある。リズは拝むような仕草で、こちらの様子を窺う。
「わかった、今日は特別だぞ」
「いいのぉ⁉ やったぁ!」
「今夜は冷えるから、コートとマフラーをしてきなさい」
よほど嬉しかったのだろう。リズは部屋に入ると、慌ただしく支度を始めた。
外に出ると、さっきより寒さが増していた。夜景が見える丘まで、車で行こう。
耳を澄ますと、街の方からコロブチカが聴こえた。

丘に着くと、リズは大はしゃぎで車から出た。二人並んで夜景を見るのは久しぶり。毎日来ていたときは、壁のことはあまり気にならなかったが、今日は気になって仕方ない。
――あの壁がなければ、ウエストタウンの景色も見えて、もっとキレイな夜景が見えるのに――
「パパ見て、星がキレイ」
空を見上げると、一面に星が広がっている。
「流れ星が流れている間に三回お願いごとをするとね、願いが叶うんだって」
「そうなんだ。でも流れ星が流れている間に三回もお願いできるかなぁ」
「多分無理だと思う」
あっさりそう言うものだから、つい笑ってしまった。
「あっ、流れ星!」
興奮気味にリズが指すと、そこには時間が止まったかのように、ゆっくりと流れる流れ星があった。おかしいと思いつつも、つい見とれてしまう。
「パパ、お願いごとしないと」
思わずハッとなり、僕は心の中で『この壁がなくなりますように』と、三回唱えた。
そして、唱え終えたところで、流れ星は消えた。
「パパ、お願いごとできた?」
「もちろん。リズは?」
「リズはねぇ『パパに新しいおもちゃ買ってもらえますように』ってお願いごとしたんだ」
「その願い、叶うといいな」
街から流れるコロブチカが、夜景をいっそう盛り立たせた。

朝、「学校に行きたい」とダダをこねるリズをなだめるため、積み木遊びに付き合うことになった。
「パパ、お城作って」
僕は言われるがまま、積み木を並べる。ステラはコロブチカの鼻歌を歌いながら食器を洗っていた。僕もつられて鼻歌に合わせる。
すると突然、並べた積み木が光り出した。
「何だこれは⁉」
積み木は消えた。見間違いかと思い、あたりを見回したが、積み木はどこにも見当たらない。きっとリズが隠したのだろうと、気にせず積み木を並べると、またもや消えてしまった。
「すごい! もう一回やって!」
積み木は並べるたびに消えてしまい、すべてなくなってしまった。
思わずハッとなり、リズを見ると顔がニヤけていた。
「これで新しい積み木買ってもらえる。リズの願いごと叶った」
夜景での出来事を思い出した。確かリズは、新しいおもちゃが欲しいとお願いしていた。
「そうだな。今日の帰りに買ってくるよ」
内心、それどころではない。目の前で積み木が消えてしまったのだから、頭の整理が追いつかなかい。
「テトロ、そろそろ行かないと遅刻するわよ」
ステラの声がして、時計を見ると家を出る時刻になっていた。積み木のことは後回しにして、仕事に行くことにした。
「今日はゴミの日だから、これ出しといて」
ステラはゴミ袋を突きつけた。ゴミ捨て場は通り道だから、受け取る以外の選択肢はない。
「新しい積み木を買って帰るから、少し遅くなるよ」
「わかったわ。いってらっしゃいテトロ」
手を振るステラの奥から、ニヤけ顔のリズが見えた。

街を歩くと、ストリートミュージシャンがコロブチカを演奏している。鼻歌で合わせていると、ゴミ捨て場に着いた。周囲は破れたゴミ袋が散乱している。きっとホームレスが漁ったのだろう
壁の弊害で、物資不足で職を失う住民が多くいる。職業案内所には行列ができているが、紹介できる仕事なんてないのが現状。そのせいでスリや強盗が多発し、安心して街を歩けない。僕のカバンの中には、常に護身用のナイフが入っている。イーストタウンの住民は、毎日生きていくのがやっとなのだ。
散乱したゴミを集めると、見違えるようにキレイになった。気分が良くなり、コロブチカのリズムに合わせ、回収スペースにゴミ袋を並べる。
すると突然、ゴミ袋が光り出した。
――まただ――
ゴミ袋は全て消えてしまった。
思わず自分の手を見る。何の変哲もない、一般男性より少し小さい僕の手があるだけだった。何となく、その辺の石ころを並べてみる。しかし、何も起こらなかった。
気がつくと、さっきまで聴こえていたコロブチカの演奏は止んでいた。

診療所は患者でごった返しているのに、僕は上の空だった。
――並べると消える……さっきの石ころは消えなかった……なぜ――
その辺にあった物を並べてみる。しかし、何も起こらなかった。
そんなことばかりしているものだから、看護師が心配して、「午後は休診にしましょう」と提案してきた。確かに、これ以上診察を続けては迷惑をかけてしまう。ここは潔く、提案を受け入れることにした。
『諸事情により、午後は休診します』と張り紙を貼ると、家路についた。
おもちゃ屋に寄ると、店内はおもちゃが少なかった。店主いわく、壁のせいで発注したおもちゃがなかなか入ってこないとのこと。数少ないおもちゃの中から積み木を見つけると、店主は紙袋に入れてくれた。
 店を出るとき「今週で閉店する」と言っていた店主の寂しそうな顔が、目に焼きついた。
――この壁さえなければ――
紙袋を持つ手に力が入る。
と、そのとき――僕の身体が一瞬宙に浮いた。地震だ。
僕は紙袋で頭を守り、その場でうずくまった。悲鳴や、建物が崩れる音が聞こえてくる。――リズ、ステラ、無事でいてくれ――
揺れが収まると、家に向かって走り出す。しかし、瓦礫や地割れのせいで遠回りを余儀なくされる。道を変えても結局同じで、立ち往生してしまう。崩壊した街はどこも同じ景色で、自分がどこにいるのかわからなくなっていた。

やっとの思いで家に着くと、家は崩壊していた。
「リズ! ステラ!」
今まで出したことのない声で叫んだ。しかし、反応はない。
もう一度叫ぼうとした、そのとき――
「リズ! リズ!」
ステラの声だ。瓦礫を押し退け、歩み寄る。
「ママ……助けて」
今度はリズの声だ。その声は弱々しく、苦しんでいる。
「リズゥゥゥ‼」
 僕は声を張り上げた。
「テトロこっちよ、早く来て!」
瓦礫の影にリズとステラがいた。リズは瓦礫に埋もれ、顔と手だけが出ている。
「大丈夫かリズ⁉ 今助けてやるからな!」
リズに乗った瓦礫を持ち上げようとしたが、ビクともしない。
「誰かいませんかぁ! 娘が大変です! 助けてください!」
しかし、反応はなかった。こんな状況だ、みな自分のことで手いっぱいなのだ。
リズの身体は圧迫されているため、呼吸が乱れてきている。これ以上この状態が続くと危険だ。いったいどうすれば……。
すると、リズが僕の手を掴んだ。
「パパ……魔法をかけて」
苦しそうな声でリズが言う。
「魔法?」
「積み木を消したときみたいに、魔法を使ってリズを助けて」
並べると消える、あのことを言っているのか。でもこれは、うまくいくときばかりではない。診療所で試したときは、一回も消すことができなかったのだから。魔法を使うにはどうすれば……。
すると突然ステラが歌い出す。
「タンタラランタンタン」
コロブチカだ。
「こんなときに何をしているんだ?」
語気を強めてそう言ったが、ステラは涼しい顔をしている。
「リズは不安なのよ。少しでも安心させたいじゃない」
確かにその通りだ。いったん落ち着いて考えよう。そう思い、僕はステラの鼻歌に合わせて、一緒に歌ってみた。
すると、頭の中に閃光が走った。
――積み木が消えたとき、ステラはコロブチカを歌っていた。ゴミ袋が消えたとき、コロブチカの演奏が聴こえた――
僕はコロブチカを歌いながら、リズに乗った瓦礫の隙間に小石や瓦礫を横一列に並ぶよう埋めてみた。
すると、リズに覆いかぶさっていた瓦礫は光り出し、消えてしまった。
「パパすごい! リズもう苦しくない!」
僕はコートを脱いでその場に広げると、リズをその上に寝かせた。
「パパの魔法があれば、困っている人みんな助かるね」
周囲を見渡すと、瓦礫に埋もれ、助けを必要としている人がたくさんいるのがわかった。
「そうだね、パパはお医者さんだから、みんなを助けてくるよ」
不思議と力が湧いた。
「ステラお願いがある。周りの人に、コロブチカを歌うように頼んでもらえないかい?」
リズの言う魔法――それはコロブチカが流れているとき、物を並べると消えてしまうという現象のこと。なぜ僕がこの魔法を使えるようになったのかは、深く考えないことにした。まずは人命救助が最優先だ。
「わかったわ。無茶だけはしないで」
「あぁ大丈夫。じゃあ行ってくる。リズを頼んだよ」
街はどこからともなく、コロブチカの大合唱が始まった。
僕は街中を駆け回り、魔法を使って瓦礫に埋もれた人の救助をする。もちろん、ケガ人には応急処置もした。
思い返すと医師になって以来、人を救ったことがあっただろうか。壁や物資不足を言い訳にして、医師とは名ばかりで、何もしなかったのだ。やれることはあったはずなのに。
僕は今、この手で人を救っている。
一通り救助を終えると、疲れが湧いて壁にもたれかかった。壁はレンガ造りで頑丈だから、破損箇所はほとんどない。しかし一箇所だけ、人一人通れるくらいの穴が空いていた。
ふと、夜景での出来事を思い出す。
――『この壁がなくなりますように』って流れ星にお願いしたんだ。もしかすると、この魔法はあの流れ星が――
不思議と合点がいく。僕はこの魔法を使って、壁をなくそうと決意した。
しかし、穴を埋めるのに使えそうな瓦礫はない。破損した部分のレンガを探してみると、穴の先に崩れたレンガを発見した。僕は穴に入って、レンガを取りに行く。しかし、思ったよりも穴は小さく、身体がスッポリとハマってしまった。
すると――目の前は光に包まれ、僕の身体は光になった。

壁は消滅した。
イーストタウンとウエストタウンの住民は、お互いの顔を見るなり、笑い合い、抱き合い、歓喜した。


 

大好きなパパが失踪して、二十年経った。
私は幼い頃、病気がちでなかなか外に出られず、つらい思いをした。同じような思いをしている子ども達のために、何か楽しみを提供したい――そう思い、ゲーム会社に就職した。
私は今、新しいゲームを企画している。上から落ちて来るブロックを並べ、横一列になると消えていくという、単純でわかりやすいゲーム。この発想は幼い頃に見た、パパの魔法がヒントになっている。
企画の資料をまとめていると、上司が話しかけてきた。
「リズ、企画の方、調子いいみたいだね」
「ありがとうございます」
「ゲーム中のBGMがすごくいいね、何て曲だい?」
「コロブチカという、故郷の歌です」
「そうなんだ。聴けば聴くほどクセになるよ」
「ありがとうございます」
「ところで、ゲームの名前は決まったかい?」
「はい、テトリスにします」
「変わった名前だね、その心は?」
「大好きなパパと、私の名前を並べてみました」

最後にパパからもらった積み木は『テトロ』『リズ』と書いて、夜景の見える丘に二つ並べて置いた。壁がなくなり、いっそうキレイになった夜景を、いつか一緒に見たいと願いを込めて。
――ブロックは並べたら消えるけど、パパと私は並べても消えない、ずっと一緒だよ――
リズは今日も夜景を眺め、流れ星が来るのを待っている。「パパが帰ってきますように」と、お願いするために。


※この作品は光文社文庫Yomeba!第19回「ゲーム」テーマの落選作品です。
個人的にはかなり気に入っている作品です。
私事ですが、職場でトラブル続きで「大変だね」と、他部署の職員に何回も言われます。転職したいよぉ(泣)

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