『Holy cow/わたしたちは一度しかない』|今野裕一郎インタビュー[前編]
11月2日〜4日にかけて京都芸術センターで上演するバストリオの新作公演『Holy cow/わたしたちは一度しかない』に先駆けて、演出・今野裕一郎のインタビューを実施しました。
バストリオは2022年に『一匹のモンタージュ』を上演した際、劇作家・演出家の太田省吾による演劇実践・実験との関連を示された*ことから京都という土地に辿り着きました。この土地は今野裕一郎がかつて大学時代を過ごした場所として、当時教壇に立っていた太田省吾とすれ違った場所としてあります。
前・後編に分けてお届けするこのインタビュー。前編では、いま京都という土地を見据えている眼差しは何を見ているのか。クリエーションの真っ只中にいる今野裕一郎の思考と感覚を聞きました。
*太田省吾との関連が示された、渋革まろん氏の劇評『偶有性の演劇──太田省吾とバストリオの近くて遠い関係について』はこちら。
インタビュー:中條玲 編集:橋本和加子
京都で過ごした日々のこと
ー京都造形芸術大学(以下:京造)に行ったきっかけは?
今野:京造に行ったのは宮沢章夫さん。あとこのまま普通に職に就くのはどうなのかなって思い始めてたんだよね。
ーそれ以前にも表現への関心はあったんですか?
今野:全く。表現みたいなことを全然したくない人だったから、良い客でいようって感じ。作ったものを人に見せるとかやらなかったし、そもそも目立つのが好きじゃなかったからね。
ー宮沢さんとは観客として出会ったんですか?
今野:もともとは宮沢さんの本の読者で、エッセイ読んですごい笑って、会ってみたいなって思った。『トーキョー・ボディ』の時に遊園地再生事業団が若い役者たちと出会うためにオーディションを開くのを知って、そこに会いに行ったんだよね。でも出演したいわけじゃなかったから「会ってみたくて来ました」って言って。それでたしか本にサインもらって帰ったんだけど、そしたら覚えてくれて、本番も見に来たらって言われてシアタートラムに見に行って。それが2003年の1月とかで、4月には京造に入学した。
ーそんなスパンだったんですね。京都へは、作る側になるみたいな気持ちで行ったんですか?
今野:結構覚悟して行ってたと思うよ。サラリーマンになる道は見えてたのよ。でもその道を捨ててるからね。そのときはちょっと精神的につらくなってたんよな。本当はスポーツをやりたかったからその道を断っちゃった時点で、ほんまにやりたいことできんかったなって感じは結構あったかもね。
ー最初に作り始めたのは映像だったんですか?
今野:そうだね。
ー在学中はずっと映像を?
今野:宮沢さんの授業で舞台に1回立ったけどね。1年生の時は舞台は座学で学んでて、太田省吾さんとか松田正隆さん、森山直人さん、八角聡仁さんの授業を受けてた。後にドキュメンタリー映画のコースにいた佐藤真さんの作品を見て食らっちゃって、どっぷりドキュメンタリーになったけど、それまではあんまり境なくなんでも興味持ってたけどね。
ー映像と舞台が混ざってる感じは珍しいですよね。
今野:ね。今はバラバラだからね。
ーあるとしても、交流というか入れ替えみたいなのが起きてるかどうかはちょっとわかんないところが多い印象です。
今野:そうね。でもやっぱり現役で、最前線でやってるおもしろい人たちが教えてるってのが大きかったんじゃないかな。
ーそうですよね。新作を作り続けてる人たちが教壇に立ってましたもんね。
今野:そう。宮沢さんって2004年までしかいなかったけど、2005年に『トーキョー/不在/ハムレット』を大学にある春秋座っていうでっかい劇場で上演して、それ見に行ったんやけど、2年生まで教えてていなくなった人が現役バリバリで作品を持ってくるわけじゃん。しかも超おもしろかったからね。かっこよくて。佐藤真さんもそうだけど、俺らと授業しながらパレスチナとか行ってて、帰ってきて撮った素材見せてくれたりして。それってすごいことよね。作家活動の過程を見れてるっていう。教えられてるんじゃなく、やってるのを見れる現場って感覚があった。
ーたしかに、実際手は動かしてないけど、作ってる感触に近い体験になりそうですね。
今野:先生たちもまさに表現してるなかにいたから厳しいしね。特に佐藤真さんはそうやった。教えようっていうより、ものすごく正直に接してくれたんだろうなって。振り返ると贅沢な時間だったよね。
役に立たなくても存在しているものも社会の中に含まれてる
ー太田さんとは実際どのぐらい交流があったんですか?
今野:全然交流はなかったんだよね。授業受けてみたり、宮沢さんを通じて知ってるぐらい。学科長だしこの人が1番偉いらしいって感じとか、重鎮の人がおるみたいな見え方してた。あんま知らない分、偏見がめっちゃ多かった気がするね。
ー今は京都にいた時のことを思い出してる感じなんですか?
今野:思い出してるっていうより、不思議がってる感じが強いかも。自分はドキュメンタリーを選んでやってたっていう自覚があるから。今『Holy cow/わたしたちは一度しかない』をやるってなって、太田さんに思い入れがあったみたいな嘘をつく気はなくて、自分は佐藤真をすごいと思って、佐藤さんの表現にどっぷりだったから、あの人から受けとったものを基盤にしてものを考えてる感覚はある。だからこの作品をやる上で太田さんのことを思い出すっていうより発見してる。今の自分から見て、あの時近くにそういうおもしろい人たちがいたことを不思議がってる感じ。
ー確かに、ともすればそのタイミングで舞台表現を専門に学んでた可能性すらあったわけですもんね。
今野:学んでたら、今の自分じゃないやろうね。学んでないから今すれ違ってんだろうなってことはこの前、京都に行った時も考えてた。今になって色々本読んで知っていって、太田さんが違う道筋で近いことを思考してるって感覚を持ったけど、太田さんも掲げてるような、人間存在の肯定とか標榜してやるっていうのは結構な覚悟じゃん。俺はそれやってるつもりだけど、標榜してやる気はないのね。それができるかどうかを毎回現場でやってみてるから、太田さんのやり方はその芯みたいなん作ってるなと思った。
ーしかもたくさん本を書いて、自分の考えてることをまとめて発表してるじゃないですか。しかも現役で。それは確かにスタイルとして全然違いますよね。
今野:そうだね。あとそれは当時の、その時代の人の態度なのかなって思う。唐十郎や寺山修司とかもそうなんだろうけど。自分でも自分がやってることを名指して進んでくのってあの時代の空気とか態度なんだろうなと思う。
ー結構言い切ってますよね。
今野:もうちょっと広い意味での社会の中で、演劇が存在してたんだろうなと思う。今はそうじゃないからあんまみんな言わないんだろうね、言っても演劇の中だけの言葉になったり、言葉だけで実際より誇大表現になっちゃってたり。当時の人たちが言語化できたのは、そういう大きなものと向き合ってたからなのかなって。それこそ学生運動とかあったしね。今でいうとデモに参加してる人は言葉や態度を抱えて表現に入ってくるやろうし。
太田さんはインタビュー見てても言語化能力が高いんだよね。書くだけじゃなくて話す時も的確に言語化できてて。だからこそ、当時の京造みたいな、ああいうプロジェクトを動かせたんじゃないかな。できるだけ広めに器を用意してどうなるかっていう実験をやってたわけじゃん。どんな生徒が集まるんですか?ってインタビューで聞かれた時に太田さん苦笑いするんだよね。全然あかんやんつらもいるの浮かんだんかもな、どうしようもないなみたいな感じとかも正直あるじゃん。だけど、いずれ開けるような、そうなったらっていう、だいぶ先の可能性を追いかけることって、言語がもつ射程と関わってるし、役に立たなくても存在してるものも社会の中に含まれてるって可能性の話じゃん。そういう射程を捉えていくことって運動だなって思う。
出会うとか向き合うというより、すれ違う感覚
今野:「すれ違う」って言ってることは自分の中の態度として重要で、出会うとか向き合うっていうより「すれ違う」感覚の方が近いんだよね。太田さんを特別なものとして扱うことが自分にはできないと思ってて。太田さんのことを考えてるようだけど、それは自分のことを考えてるみたいなことが多くて。
なんで太田さんってこんなことしてたんやろう、俺もそうやけど。みたいな作品になりそうってとこまで今は来てて。「なんでなんやろうね」みたいなセリフが出てきちゃう感じがするんだよね。なんで外出りゃいいのに劇場に砂をひいてきてあんなことやってたんやろうね、みたいなこととかさ。太田さんが砂とか使うのも考えたり感じるために置いて、ひっぱってきてるって感じもある。共存やね。それが装飾じゃない意味で、そのものとして、なんで今ここに砂があってここを歩いてんねんやろうなみたいな。
ー考えるための道具みたいな。
今野:あるものを感じたいんかもね。
ー言葉にしきって単純に提示するのではなく、なんでなんだろうみたいなことから話し始めるというか、太田さんのことを考えてるうちに自分のことを考えてるみたいなのも鏡というか、並んでるみたいな感じなんですかね。
今野:同じ方向を見ながら喋ってるみたいな、お互いが見合ってはないんよね。並んで歩いてて、いつの間にか隣を見たらいないみたいな感じ。
強度は落ちてもいいからまずその人を見たい
今野:自分の中でずっとやってんのは、可能性の拡張と追求なんだよね。なんでこれがこうなってんねやろって考える時に、でも、こうじゃないものだって同時に無数にそこにはあるよなって考えるみたいな。でもこうやったし、こうじゃない。めちゃくちゃ信じてるし信じてない。そういうどっちもを捉えながらなんでなんやろうって真剣に思えるかっていう勝負をしてる気がする。
演劇って、ある存在がいて、そこにたくさんのものが本当は詰まっててっていうのをいろんなやり方で起こしたりしてるわけじゃん。で、それがあるから見るに値するみたいなやり方って今もやってるけど、やり方の強度が強めになってて、たとえば30歳の人やったらその人が生きてきた30年間の時間を、そのやり方の強度が食っちゃってる感じがするんよね。その人が乗りこなしてる乗り物の性能を見てるみたいな。で、それは自分にとってあんま乗れないポイントになったりしてて。ベクトルが定まりすぎというか。強度が落ちてもいいからまずその人を見たいと思ってて。太田さんとは違う方法でやってるけど、目指すとこは近いところもあるんかなって、人間の有り様が現れる場に舞台がなったらって。いわゆる"黄金の時間"を持ってこようとするみたいなね。
後編はこちら⏩
後編はクリエーションを通して発見したことや、作品内容に踏み込んだ内容をお話ししてます。後編もお楽しみに!
公演情報
『Holy cow/わたしたちは一度しかない』KACパートナーシップ・プログラム2024
演出|今野裕一郎
出演|黒木麻衣、坂藤加菜、佐藤駿、スカンク/SKANK、中條玲、橋本和加子、本藤美咲
音楽|高良真剣
2024年11月2日(土)〜4日(月・祝)
11月2日(土)19:30~★倉田翠さん(akakilike)
11月3日(日)13:00~
11月3日(日)17:00~★出演者と今野裕一郎
11月4日(月・祝)13:00~★八角聡仁さん(批評家)
★=アフタートーク
◾️チケット
一般|予約 3,000円 当日券 3,500円
大学生以下|予約 2,500円 当日券 3,000円
14歳以下無料
◾️会場 京都芸術センター フリースペース
ご予約はこちらから
https://holycow-kyoto.peatix.com/