禅の公案の答え(11)
カラッポ
昨日、友人に「悟りとは何か、一口で説明してくれ」と言われました。一口で悟れたら苦労はないわけですが、私の方で以下のように答えました。
まず、我々の本心というのは「カラッポのコップ」のようなものだということです。そのコップにたくさんの想念を抱え込んでいるので人は悩んだり、幸福を感じられなくなってしまいます。
禅の無になるという、その無の境地というのは、数を数える(数息観)や呼吸になり切る(随息観)ことによって、この想念渦巻くコップをカラッポにすることなのです。曹洞宗の道元が「ただ坐る」と言っているのも、カラッポになりなさいということにほかありません。
さて、そうしてカラッポになったコップには、宇宙全てが入れられるようになります。これが坐禅の歓喜です。その感謝100%の気持ちを「おかげさま」「ありがとう」と表現します。簡単な言葉ですが、それ以外に言いようがありません。
念仏をしていても、念仏一つに集中すれば、雑念の入る余地なく、こちらもまた「カラッポのコップ」になることが出来ます。
これを色即是空といい、そして、空(宇宙全てと一体)のままでは生きていけないので空即是色の色(日常の慌ただしさ)で現象世界をさばいていく、ということになるわけです。