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【昭和的家族】父の告白(実は白玉が嫌い)

私の父は、小さい頃から甘い物が大好きだったそうだ。そんな父が良く話してくれた父の子供の頃の想い出話の中で、私が好きだったのは、父の母、つまりは私の祖母が父が小学生の頃のある日、お弁当としてお弁当箱一杯に和菓子を入れて持たせてくれたというものだ。父の子供の頃は第二次戦争を挟み今よりも甘い物が大変貴重な時代だったからこそ尚更、その話は父から見て、祖母の父に対する強い愛情表現と感じたのかと思う。山中で育った父にとっては、当時なかなか手に入らない驚きのプレゼントがぎっしり入ったお弁当がものすごく嬉しかったそうだ。私が特に好きだったのは、何度も何度も同じ話を繰り返していたのにも関わらず、その話をする時の父の心から幸せそうな表情だった。父はいつでも両手でジェスチャーもつけながら、その日、自分のお弁当箱を開けた時、箱一杯の和菓子が入っていていかに嬉しく驚いたんだという事を大げさなくらいな嬉しそうな話っぷりで伝えてくれていた。

一方で私の母も小さい頃から甘い物が大好きだったそうだ。街中の商店街で育った母には小さい頃、近所に餡子を作っている家の仲の良いお友達がいて、時々お店を覗きに行くと、大きなお鍋で美味しそうな餡子が沢山作られていて、そのホカホカの美味しそうな湯気や匂いも含めてとっても羨ましくて、”将来は餡子屋さんに嫁に行きたい”と長い間心に秘めていたそうだ。

そんな両親だったので、私は何かしら実家の両親にお土産を買う時は、甘いお菓子にすることが多かった。和菓子も洋菓子も喜んでくれたが、特に和菓子ではあんみつやみつ豆、白玉ぜんざいは二人とも大好きと思っていたので、だいぶ長い間、定番のお土産として私は甘味屋さんに寄って、あんみつやみつ豆や白玉ぜんざいを混ぜて購入し、小箱に入れたものを両親に届けていた。私がその紙の小箱を手渡しするといつでも二人とも喜んで受け取って、時間を置かずにお茶でも入れて二人揃って一緒に食べていたように思う。

それなのに父が80代中盤になったある日、いつも通り私が買って来た甘味の箱の中から、父の前に取り出した白玉ぜんざいを前に思いもかけない驚きの告白があった。

「実はなぁ、お父さん・・・白玉が嫌いなんだ」と思いのほか小さな声で。
「えー?!」と私は絶句した。
「だってお父さん今までずっと長い間、とても美味しそうに白玉ぜんざい食べていたじゃん!!」と私は言葉を続けた。
父は、ちょっと下を向いて、さらに小声になって言った。
「無理して食べていたんだよ。ずっと前から白玉は、好きじゃなかったんだ」

私は驚きながらも、そう言えば、父は以前から機会あるごとに、昔の柏餅は今よりもっと美味しかったと力説していた事を思い出した。特に家の近所の街中のスーパーマーケットで買える餅菓子は父が故郷で子供の頃に食べていた米粉でできた昔風のお餅と全く違い、日にちがたってもいつも柔らかく、その見た目もツルツル感も父が知る伝統的な正当な餅菓子とは全く別のものだと時に怒りを込めて力説し、時々「この辺りには、昔風の本当の柏餅が無い」と嘆いていたことも、そう言えばあった。
「そっか、つまり白玉みたいにつるっとしているお餅は苦手で、お父さんはもっと本当のお餅っぽいのでないとダメなんだね」と私はやっと父の柏餅の嘆きと白玉嫌い発言が繋がり、父の告白の意味を理解できた。

それにしても、母と結婚し60年近く、良くまぁ長い間何も言わず我慢して嫌いな素振りも見せないで父は白玉ぜんざいを食べていたんだなと、私は父の辛抱強さにじわじわと感心した。

父の告白のその時、私は何故今迄父が白玉を嫌いな事を言わないでいたのかを深くは追及しなかったので、後から推測した限りではあるけれど、きっと父は、母からも(母は白玉ぜんざいが文句無く大好きだった)私達からもずっと長い間父も大好きだろうという前提でいつもお土産として白玉の入った甘味を出されていたからこそ、好きな振りをして母と一緒に白玉が入った餡子系の和菓子を食べていたのかなと思う。結局は父は、白玉ぜんざいが好きな母が大好きで、母が今さらと驚いたり、悲しんだりするのが怖くてなかなか本当の事が言えなくなっていたのかも知れない。その上で多分、もういい加減、嘘をつきたく無くて正直な気持ちをあのタイミングで伝えてくれたのかなと思う。それはそれで驚く程遅かったけど、あの時告白してくれて良かったと私は思う。もしも知らなかったら今でも私は引き続き、白玉系のお団子を仏壇に父が好きな物としてお供えしてしまっていたな、と思うからだ。とは言え、今でも引き続き家の近所では父が好んでいた昔風の直ぐに硬くなる和菓子を手に入れる事は難しく、なんだかんだ言い訳をしながら、今でもつい白玉系のお団子も時々お供えしてしまってもいるけれど。


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