なぜ夏子は塔に行ったのか
実世界を離れ、塔の世界の産屋で出産する事を選択する夏子。
夏子がそこに至る経緯や心情が作中では詳細に描かれていない。
なぜ夏子は塔に行ったのだろうか。
夏子の赤ん坊を後継者にする説や、眞人を塔に誘い込むための、おとりにした説を考えない。
確かにロジックとしては面白く、物語が分かりやすくなる。
だが、悪意のない世界を望む大叔父が、そのような手段を選ぶとは思えない。
なにより、産屋で夏子が言った大嫌いという言葉の重さが失われる。
塔に何らかの逃げ道があることを姉の失踪などで感じていたとしても、それまで描かれた夏子の性格は非現実に逃げるようには見えない。
つわりで臥せてからは、夏子の描写はかなり少ない。
眞人が夏子を拒絶し、青鷺への対決へ向かう方向にフォーカスされていく。
◆眞人と出会い、赤ちゃんができたことを伝える
赤ん坊が産まれた後の居場所を眞人の世界に早く認めて欲しかったのだろうか。
夏子と父と赤ん坊の世界を認識させ、眞人を孤独にさせてしまった。
◆疲れて眠る眞人を見つめる夏子
母になろうとする優しさと、決意をしなければならない夏子の心に負荷と不安。
◆頭に傷を負って寝ている眞人に謝る
眞人の孤独を救いたい気持ちは強いが、自身と赤ん坊の存在が眞人を孤独にさせている原因だと気づきはじめており。
眞人を守れずケガした責任と、孤独を救えないことを謝った。
しかし将来、生まれる赤ん坊を眞人より大事に想うことを夏子は否定できない。
◆眞人が夏子を見舞う
夏子の姿が充分に描かれていない。
眞人の傷を気遣うが、心を閉ざす眞人の態度が夏子を責める。
赤ん坊の存在が眞人を追い詰めていると悩む夏子。
眞人がいなければと、ふと思ってしまう心の中に芽生える悪意。
眞人が存在する世界から逃れたい気持ちと、眞人を苦しめないために違う場所に行きたい気持ちが重なる。
◆森に向かう夏子
そして悪阻の苦しみで朦朧とする夏子は、塔に向かう。
◆産屋で眞人に会うシーン
眞人に向けた大嫌いという言葉は、眞人を実世界に返したい気持ちもあるだろう。
だがその言葉は、眞人や悪意の存在しない、赤ん坊との平穏な世界を欲する強い気持ちから生まれた本心だろう。
夏子は悪意と眞人から赤ん坊を遠ざけるために塔に行き産屋で産む決心をした。
それは自分たちの存在が眞人の心をこれ以上傷つけたくないという、眞人を守りたいと願う思いやりでもあった。
追記 産屋以降の夏子
産屋で悪意の言葉をぶつける夏子。
その悪意を受け止め夏子を母さんと叫ぶ眞人。
夏子の悪意の中に眞人を思う優しさと、子供を想う母の強さを見出せるほど眞人は成長していた。
夏子は弱く悪意の源でしかなかったはずの眞人から、自分たちを肯定する母さんという呼びかけを受けた。
その呼びかけに悪意を持つ弱さを認め生きる強さを見出し、自身の弱さを後悔した。
夏子は実世界に戻り、子供を産む決心ができた。
実世界に戻った夏子は、フンをするインコの群れを美しいと呟いた。世界は汚く美しく、人間もまた汚く美しく悪意を乗り越えられると感じたのだろう。
補考
なぜ夏子の心情を描かないのか
夏子の心情より、タバコでの買収や弓作りに注目させ、観客を眞人と青鷺の対決へ意識を向けさせたのだろう。
夏子の心情を細かく描く事で夏子が塔に行く展開が読まれる可能性を嫌ったこともあるだろう。
だが、この構成の狙いは夏子の姿を描かないことで、夏子への感情移入を抑え、眞人視点で感じさせることだろう。
眞人が母からの本を読み、心が動く瞬間を主観的に観客の心にも起こす布石だったのではないか。
おわり