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決めつけないで欲しい

昨日、ニュースでこんな記事を見た。

【聴覚障害児の遺失利益「健常者と同様」と

 大阪高裁が判断】


本件の争点は、「障害者の遺失利益」。

つまり、「将来、得たであろう収入が、

健常者と同等か、それよりも少ないか」でした。

(私はそう解釈しました。もし間違っていたら、
深くお詫びします)

1審は、「少ない」という判決でした。

これを不服として控訴をした結果、

今回、2審で「同等」と見直されました。

事件の詳細は、ぜひ調べてみてください。


私もインターネットのニュースをたまたま

見ただけなので、背景など詳細は分かりません。


それでも、思ったことがありました。

それは、

「決めつけないで欲しい」

でした。


障がい者だからといって、

・これはできない

・あれもできない

・それも心配(不安)

こんな風に、その人や世間の基準、

あるいは、先入観や価値観、

過去のデータで、間違いなく違う「人」の未来を

決めつけないで欲しい。

そう思います。


そもそも、人の能力は、

ひとりひとり、違います。

それは、健常者でも、

障がい者でも同じ。


であれば、何かをやる前から

珍妙なフィルターにかけず、

・平等に機会を

与えて欲しい。

そう、思うのは、おかしいでしょうか?


 例えば、私は字を書くのが下手です。

なので、字を書くのは苦手ですし、

できればやりたくありません。

また、体も華奢で、がんサバイバーという

事実も相まって、

そこまで肉体労働には向いていません。

健常者でも、それぞれ違うのです。


健常者とか障がい者とか一切関係なく、

・向き/不向き

は、誰にでもあるはずです。


それなのに、

・障がい者

というだけで、その機会を奪われ、

偏った見かたをされてしまう。

これは、今回の件だけではなく、

社会全体の風潮と言っても、

決して過言ではないように、

私は、思います。

そう言う意味では、がんサバイバーも、

似ているかも知れません。


もちろん、事実として

・健常者より劣る

場合もあるでしょう。

でも、逆に

・健常者より勝る

場合も、あります。


それは決して、「レアケース」ではありません。


大切なのは、そう言った部分を、

・知っているか?

あるいは、

・知ろうとしているか?

だと、私は思うのです。


障がい者にとって、

・理解ある社会

・健常者と変わらず、尊重される社会

・(憶測で)決めつけない社会

に、少しでも早くなって欲しい☆


今回のニュースを見て、そう願わずには、

いられませんでした。



最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました。

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