人生を生きる上で「哀しい」という感情は必要だ。悲しい想い出がある人は優しくて強い人。(インサイドヘッド1)
インサイドヘッド2が公開されてるということで、遅ればせながらインサイドヘッド1を先日見ました。
こちら2015年の作品なんですね。
まったくチェックしていませんでした。
いろいろ思うことがあったので感想書いていきます。
最初は子供向けの映画なのかな?と思ったら、いろいろ考えさせられてしまいました。
物語では主人公の女の子ライリーの頭の中にある感情がキャラクターとしてしゃべって行動しているのですが、
ヨロコビというキャラクターは毎日楽しくて、嬉しくて、ハッピーな様子。
ライリーが幸せに楽しくしてくれればそれでいい!と奮闘します。
でもライリーが成長するにつれ、うまくいかないことがあったり、両親が喧嘩したり、引っ越して友達と別れたり…悲しいことも起きます。
毎日が喜びだけで楽しかったら確かにハッピーかもしれません。
でもそんな人は世界の中でも少ないかと思います。
大なり小なり、人生には悲しい出来事が必ず起きます。
みんな悲しい、哀しいと思えることといったらどんなことでしょうか。
世界規模なら、戦争、貧困、地球の環境問題
身近なものなら、家族の不和、いじめ、人の死、詐欺
個人なら挫折、失敗、友達とのケンカ
などでしょうか。
自分だけがハッピーでも実は周りはそうではないかもしれない。
ライリーも幼少期は毎日が楽しい気持ちでいっぱいでしたが、小さい子供は無垢で、家の外のことはよく知りません。
親が仕事で失敗してたり、夫婦間でもすれ違いがあることは知りません。
それがどんなにつらいのかも知りません。
親も、子供にわざわざ「私だってつらい」などと告白はしません。
その代わり、行動に現れてきますね…。
それを子供はちゃんと察します。
親が完璧で、子供に対しても弱みを見せることなく、育て上げるなんてきっとできません。
家の中ではお姫様、王子様のように扱えても、何も問題なく過ごせても
子供が家から出た時、学校や社会でなにかしら壁にぶちあたることになります。
インサイドヘッドでは幼少期、主人公ライリーが家族から愛情を注がれて毎日が楽しく思い出は喜びばかりで作られていました。
ライリーの中には喜び、哀しみ、怒り、怯え、嫌がるの感情がありましたが
その中でも「カナシミ」は「ヨロコビ」からは「もっと明るくなってほしい」「楽しい思い出を哀しみに変えないでほしい」と邪魔者扱いしました。
哀しみの感情は不要だと、一見思えますが、途中で、
カナシミがライリーのイマジナリーフレンドに対して寄り添って元気を取り戻してあげたことで、ヨロコビが考えを変えます。
ヨロコビが忘れさせようとしていた悲しみの感情。
楽しい思い出だけだったと思っていたホッケーの記憶。
本当はライリーが昔ホッケーの試合で失敗して負けて悲しんでいた時、両親も友達も元気づけてくれていたこと。
悲しい記憶だけど同時に嬉しい優しい記憶でもあった。
誰かが悲しんでいた時、自分に哀しみの感情が無ければ寄り添うことも声をかけることもできません。
「試験に落ちて失敗した」などの挫折は同じような経験をした人でないと気持ちはわかりません。
哀しみの感情があることで、他者を想って一緒に立ち上がることができる。
どんな困難が起きても、立ち上がれる。優しくなれる。
大切な感情なんだな、と思いました。
自分の人生は悲しみに満ちてるなと思ってる方、哀しい思い出が多い人はとても強くて優しい。
その感情を大事に生きていきたいですね。
子供向けの映画なのかなと思ったらそんなことはなく、大人が見てもちょっと泣ける映画だなと思いました
続編もぜひ見たいと思ってるので見れたら感想書きたいなあと思います!
面白かったのが、英語版タイトルは「Inside head」ではなく「Inside out」なんですね。
頭の中ではなく、裏側という意味。
ヨロコビの反対はカナシミで表裏一体という意味。
たしかにストーリーの内容を考えるとしっくりきます。
でもインサイドヘッドはストレートでキャッチ―なので、私としてはこっちのほうが覚えやすいですね