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センテナリアン候補者の戦争観

ロシアとウクライナの戦争報道を見聞きしていて感じたことをセンテナリアン(百寿者)候補者の一人として書いてみよう。

大雑把に言うと、大方のマスコミ報道は我が国戦時中の大本営発表のそれを思い起こさせる。

つまり、どこから聞こえて来るニュースも、結局のところ、同じなんだな!

曰わく「鬼畜米英!」、「神州日本!」、「欲しがりません勝つまでは」、「一億一心!」、追い詰められてくると「一人一殺!」とか、実際のところこれらのスローガン、プロパガンダに繋がるニュースだけしか聞こえてこないように思える。

今より遙かに通信技術も遅れていた時代だから、私の体感した戦時中は推して知るべしだ。

しかし、ここではこれ以上の批判はやめて、当時国民学校(今の小学校)高学年だったセンテナリアン候補者の一人-これを書いて居る筆者ぶらいおんの率直な感想だけを述べてみよう。

先ず初めに、これだけはハッキリさせて置こう。

ぶらいおんは「戦争には反対だ!たとえ如何なる戦争であっても!」

だから、とにかく戦争を仕掛けて市民(非戦闘員)を殺害するロシア軍の行動には反対だ!

ロシア軍でなくとも、たとえどこの国の軍隊であっても。

たとえば、これまでは世界の保安官を自任して来た米国の実際の振る舞いであろうが、重慶を無差別爆撃した過去の大日本帝国空軍の振る舞いであろうが。

これら全ては国際司法裁判所で裁かれるべき「戦争犯罪」に該当するのだろう。

そうした前提のもとで、ぶらいおんが今の戦争報道を聞いていて奇異に感ずるのは、殺害されたとするウクライナ市民たちの死亡者数である。
報告で多いのは何十人、何百人といったオーダーの人数だろう。たまに千人単位の報道もあるが…。

私ぶらいおんの知る戦争の体験では、たとえば1945年3月10日の東京大空襲では、たった一晩で10万人もの死者が出ている。

因みに戦災資料センターによれば、『東京空襲の一般民間人の被害全体についてみると、東京の区部が被害を受けた空襲は60回を越え、 確認された死者の遺体数は約10万5400人になり、 負傷者は約15万人で、罹災者は約300万人、罹災住宅戸数は約70万戸である。』とのこと。

また、米軍による広島および長崎への原爆投下による死者数は『原爆投下当日の死者は、広島9万人、長崎5万人、12月までの死者広島13万人、長崎7万人、驚くべきです。』とされている。

余りにも異なる、この死者の数はどういうことなのだろう。

こんな表現はしたくないが、単純にこの数字の違いだけ見ると、「戦争のやり方が改良され、進歩したということなのか?」

それともプロパガンダの効用からすれば、「数十人」、「数百人」という数は身近な人々の顔を想起させるが、「数万人」、「数十万人」となると、個性を持った人々ではなく、頭に浮かぶのは単に数量の多寡ということになるからだろうか?

いや、そう単純に結論すべきではないのだろう。

人一人の生命は数の多い少ないで論ずるような問題では無いはずだ。

要するに、国と国との紛争を解決する手段の一つとして「戦争」という手段は容認されるべきではないと考えられる。

子どもながら戦争を銃後で体験した者としては、「戦争」というものは個人としてのヒトの立場では、生理的な苦痛や損傷を伴うものだから、「反対」以外の立場はあり得ない。

ヒトは生きるために生まれて来たものだから、「戦争」の結果は、運の悪い人は生命を失うことになるし、それを免れたとしても肉体的、精神的に損傷を受けることになり、長くその苦しみを引き摺ることになる。

先の世界大戦では、私のような子どもですら、食糧不足に悩まされ、食べ盛りに思う存分食べることすら出来なかった辛さを未だに思い出すことがある。

また個人的には、その他にも縁故疎開していた紀南の漁村で米空軍艦載機グラマンにより突然機銃照射を受け、江須崎の浜を父と弟と共に逃げ回り、亜熱帯林に飛び込んで辛うじて命拾いしたこともあるし、敗戦間近には陸地に近付いた米海軍の軍艦から夜通し艦砲射撃を受けて不安な夜を過ごしたこともある。

戦争は国と国とが勝手にやり出すもので、一般庶民が望んで始めるものではないはずだ。

第一、戦争などあれば、到底センテナリアン到達の余地など存在しなくなるわけだから。


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