文徒ジャーナル vol.16
Index------------------------------------------------------
1)集英社新書編集長・落合勝人の「林達夫 編集の精神」(岩波書店)は読んでおきたい
2)漫画家のみなもと太郎が亡くなった
3)暴力事件の加害者が読売巨人軍のヒーローとして復活
4)横浜市長選挙について 田中康夫の健闘をどう評価するか
5)環境省、観光庁後援で開催したフジロックフェスで感染拡大か?!
6)【人事・決算】集英社 2021年8月24日付
7)「思考の取引-書物と書店と」の著者の死
8)首相記者会見 既視感に襲われてしまった!
9)非常事態宣言下で東京パラリンピックが始まった!
----------------------------------------2021.8.23-27 Shuppanjin
1)集英社新書編集長・落合勝人の「林達夫 編集の精神」(岩波書店)は読んでおきたい
ジョルジュ=ヴィクトール・ルグロの「ファーブル伝」(集英社)を紹介した記事で、岩波文庫版の「ファーブル昆虫記」の翻訳者のひとりが林達夫であり、「編集と書き込まれた名刺を使うのであれば久野収との対談集『思想のドラマトゥルギー』(平凡社)は必読書だろう」と私は書いたが、まさに編集者としての林達夫に焦点を当てた落合勝人の「林達夫 編集の精神」が岩波書店から刊行された。落合は「あとがき」で次のように書いている。
《本書に見るべきところがあるならば、林達夫という人物を再発見し、その思想と行動の核に“編集の精神”を見出そうとした一点にこそある。》
こう書くだけのことはあって、落合は林達夫の「“知識人/編集者”としての思想と行動規範の大半が表現されている」として、「思想のドラマトゥルギー」から、次のような部分を引用している。落合の引用よりも少しだけ長くした。
《あの戦争と騒動に明け暮れした混乱のアテネで、四十年間、小さな庭園を文字通り「教えの庭」とし、極端な禁欲主義の実行者として、一日一ドラクム以下で暮らしを立てていた、このつつましい賢者ほど、古代で僕の好きな人物はいない。あの差別感のきつかったアテネで見下されがちな異邦人にも女性にも奴隷にもその門戸を開放して、偏見なき精神で自らの生活の知恵をみなとわかち持とうとしていたことは、稀有のことに属します。
戦火に苦しむ庶民の「身の上相談所」でもあり「難民救済本部」でもあったのが、彼の「庭園」です。世に喧伝された享楽派といういわゆるエピキュリアニズムの俗説ほど、エピクロスの実像から遠いものはありますまい。「隠れて生きよ」――彼こそはこの時代に対する静かなレジスタンスを意味した、自らの人生哲学を一生見事に生き抜いた、古代ただ独りの「哲人」でありました。》
私見を述べるのであれば、林達夫にとって「編集の精神」とは「時代に対する静かなレジスタンス」であったはずである。誤解を恐れずに言えば、林達夫の「弱さ」が林達夫に「編集の精神」を選択させたのではないだろうか。落合は書いている。
《林達夫の生涯は、人の弱さへの痛切な認識に貫かれている。彼は決して、孤高の人ではなかった。一人では戦えないし、戦わない。ゆえに、周囲に人影がなくなると、引き籠もる以外の選択肢を失った。これが、戦時期における庭園への撤退の本質である。こうした自他を含めた弱さの自認は、危機に際して、聖者への関心を喚起し、やがて、「作る人」としての仕事に向かわせた。》
落合勝人は、ここで林達夫と同じように「弱さ」を共有しようとしているのだ。林達夫がエピクロスの「隠れて生きよ」にならったように、落合もまた林がそうしたように「時代に対する静かなレジスタンス」を繰り広げることになるのだろう。そうすることによってしか落合は周囲と折り合いをつけることができないのである。落合は、こうつづけて書いている。
《この人物にとって、編集とは畢竟、激変する周囲と折り合いをつける、たった一つの方法だったということだろう。これこそ林達夫の“編集の精神”の核心部分である。彼は“知識人/編集者”としての生き方を、全うするほかなかったのだ。》
落合勝人は「編集者」としての生き方を全うするしかないのである。「林達夫 編集の精神」の落合勝人の職場は岩波書店のすぐ近く。落合は集英社新書の編集長なのである。
そう落合勝人にとって、本書は誰のものでもない落合自身の「庭園」でもあるのだ。
https://www.iwanami.co.jp/book/b587779.html
蛇足ながら、これも林達夫。私が好きな一節だ。林は山口昌男にも多大なる影響を与えているはずだ。
《笑いを実際に大衆に供給することを役目とする人々が、先ず真剣に取っ組まねばならぬ笑いは、よかれあしかれこの下積みの、教養高い上品派おえら方からヒンシュクされている、さまざまな形をとってあらわれる『下品な』笑いであり、そのなかにはセックスに関する笑いも這入っているということ、そして本来の最も健康な――もし笑いに果して健康なものがあるとするなら――笑いは、文字通り無作法な、従って下品な笑いである》
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