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「水たまりで息をする」感想
高瀬隼子さんによる、東京に住む、二人暮らしの夫婦を描いた小説。
平穏な結婚生活も10年過ぎたある日、妻は、いつからか夫が風呂に入っていないことに気付く。
数日くらいはいいかという妻の楽観をよそに、夫が自宅の風呂に入らない日は伸びてゆく。
それでも焦りを感じさせない夫の態度とは裏腹に、ペットボトルの水を浴びて貰ったり、消臭剤を購入して夫にかけたり、妻は妻が出来る限りの行動を起こす。
弱さとか駄目さ加減とか、家族に対しての許容範囲は、他人に対してよりぐっと広くなるが、妻が夫の汚れが付着したタオルを洗濯するあたりで、それにしても夫は妻に甘え過ぎではないか、と少し憤りを感じてしまった。
だけどそれは、男性はあまりにも女性に頼りすぎるのだ、という自身の持つ偏見と、穏やかな文体につられて、私が読み飛ばしてしまったからに、他ならない。
夫婦のぶつかり合いとか、葛藤と愛情による決意など、強いものは見当たらなかった。
しかし、妻が生きてきて目にした光景と、日常を共にする夫とのやりとりについてなどに、そうなるまでのいきさつが、静かな言葉で横たわっていたのだ、ということに読み返して気が付いた。
二人がそれでいいのならば、それでいい。
その考えは、本当は、理想的であるはず。
だけれども、この夫婦の生き方は、残念ながら世間から乖離してしまう。
異臭を放つ夫は、職場の退職を余儀なくされる。
息子は「おかしくなってしまったの」と言われ、妻は義母から責められる。
それでも、夫がありのままに生きられるのであれば、ということで、二人は東京とは真逆の、夫が住みたい場所へ住処を移す。
ここでなら、ということで、夫は川の水で久々に体を洗い流す。
裸になる夫に、ついていた汚れとか、流れ落ちる皮膚について、冷静に観察されている箇所が多く、そういえば、異臭という他人の方が敏感に感じ取ることについての記述が、あまりないのも気になった。
嫌悪があれば、そこまで観察することがなく、目をそらすはずなのに、壊れてしまった夫を、せめて私だけでも受容しなければ、という気持ちが表れたものなんだろうか。
人の弱さに、男も女も関係ないのだ、ということを思った。